独特な友情を保った。そのほか、このグループの中にはハリー・バーネー卿があり、詩人のクラッフがおり、クリミヤへも一緒に行ったメー叔母さんもあった。そして、三十年以上彼女の最も緊密な秘書として働いたサザーランド博士があった。当時の社会が婦人の登場を許していなかったあらゆる政治的関係、役所関係の間へ、ナイチンゲールは彼女のあらゆる条件を活用して、ハーバートを動かし、バーネー卿を活動させた。ナイチンゲールに役立とうとして仕事をはじめたこれらの人々は、やがて真剣にその能力と忍耐との極限まで彼女のためにはかたむけつくさなければならないことを知った。寝台の上に真蒼になって息をきらしながら、なお仕事を捨てないフロレンスを見て彼女が骨身を惜んでいるといえる者は一人もないのであった。
「病院に関する覚書」が出て、その方面に根本的改革をもたらしたのは一八五九年のことであった。その翌年にはナイチンゲール看護婦養成所を開設した。彼女の剛毅、機智、大衆から与えられている輿論の支持を全面的に用いて、ナイチンゲールの官僚主義とのたたかいはつづけられていたが、シドニー・ハーバートが病いに倒れるとともに政治的な敗北が、役所方面での彼女の計画をほとんど旧態に戻してしまった。苦しい時がはじまった。詩人のアーサー・クラッフがひきつづいて亡くなった。忠実であったメー叔母は、彼女の許から去った。これはメー叔母が死んだよりも大きい苦痛をフロレンスにもたらした。
 けれども、彼女の不撓な気質は、それから後は一層広汎な病院、貧民収容所の状態を改善した。彼女の傑出した論説の中には一九〇九年の窮民救助法調査会に先鞭をつけているものもあった。インドの衛生状態にも彼女の関心が向けられ、長年の間、新任印度総督はその出発前にナイチンゲールを訪ねるのが習慣であった。

 このインドの衛生問題について、私たちに多くのことを教える一插話がつたえられている。それは、インドにおける彼女の影響が最高潮にあったとき、ナイチンゲールがクリミヤの経験をどこまでも固執して、炎熱の激しいインドの病院でも、病室の窓々は開放されていなければならないと強硬に主張したために大恐慌を来したという事実である。「彼女の生涯の大成果は、病気の科学的な取扱いに非常な刺戟を与えたことである。しかし真の科学的方法への理解は彼女に縁遠いものであった。彼女はこれまでの活動家の一人として、経験論者であった」と有名なイギリスの伝記者リットン・ストレーチーは率直にいっている。パストゥールとリスターによって病原菌が発見され、世界人類の病と死とは飛躍的に克服されるようになったが、彼女は「病原菌狂信」を嘲笑し「伝染」というものはないとした。しかし、新鮮な空気の利きめは彼女が自分の目で見、その手で開けた窓々からスクータリーへ導き入れたのである。新鮮な空気が必要なのに、窓を密閉していたとき、それを開放した彼女の方法は貴重であった。けれども、気温が全くちがい、暑さの全く違うインドで、病室を開け放したらどうだろう。全インドの医者が、インドで窓を開けたら病人の命は忽ち危くされると大抗議をしたのは当然である。彼女は組織者、企画者、行為する天才であった。が、近代科学者ではなかった。経験にたよってその範囲での成功を固執する彼女の主観的な態度そのものが、科学的でなかった。いってみれば、貴族らしい強情さでもある。
 このようにしてその天稟の中に極端な行動の力と確信の力とをもったナイチンゲールが、その気質で少女時代からの宗教心と上流婦人らしい社会の見方の一面とをないまぜ三巻にわたる労働者のための宗教解説の本を書いたというのも、興味のあることだ。さきにのべたような当時の社会の巨大な息づきは、ヴィクトーリア時代の淑女の活動的な精力を、社会改善へ向けさせたのであったが、その社会の「悪の起源」を究明する段になると、ナイチンゲールは、スープをのむには匙がいると考えて、それを手に入れたと同様の解釈をしている。彼女によれば、神は全知全能であるから、唯一つであるその神と同じものをいくつも創れない、ために神は常に完全でないものをこの世に造らなければならないというのが、論旨であった。この本をナイチンゲールから寄贈されたジョン・ステュアート・ミルが、この本を手にした労働者と同様に、彼女の理屈はよく納得されないといった時、四十歳に達していたフロレンスはさも意外な面持であった。
 社会における「悪の起源」は神が完全であるからではない。社会全般の生活の安定のために働くべき生産の手段――工場や機械などが、それを所有している少数の人々の利益のためだけに運転されて、労働者は、一生ただ日々を生きてゆくための賃銀しか支払われていない、という近代資本主義の生産、経済の方法こそ、社会悪の起源である。イギリスでも
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