が床の上でこの手紙をひとに書いてもらわなければならないような健康状態におかれるようになった十数年間のすべての治安維持法関係の書類のかげには、安倍源基の名が関係しています。
 表面上ファシスト団体が解散を命ぜられたといっても、それはちょうど尾津組その他の暴力団が組という組織を変えて近代的な株式会社になり、ますます一般の目からはみわけにくい形で活動をつづけるのと同じような道をたどっています。そのファシスト団体の首領である児玉誉士夫、葛生能久たちが自由市民の生活にまぎれこんできました。
 こういうふうに、国際的に侵略戦争の煽動者であり、ファシズム思想の組織者であったと認められた人びとが、わたしたちの生活にたちまじってきたことについて、どう判断していいのでしょう。わたしは思います。このことは日本のわたしたちの民主主義への努力がどのくらい真に人民の意志の表現であり、その行動であるかをためすものであると。したがって、民主主義をそこなうための勢力に対して正当な批判をおこない、行動によって民主主義の道をえらび、平和のための戦争挑発と戦ってこそ、人民の権利はいよいよ実際的に守られてゆくべきであるということです。
 あの講演会で、ファシズムは生きていると申しましたけれど、生きているどころか輪をもってかけずりまわっているわ。一月六日の時事新報二面のトップに「五・一五事件山岸中尉の新生」という見出しの写真入り記事があったのをごらんでしたろう。昭和七年五月十五日に永田町の首相官邸で当時の首相であった犬養毅を射殺した一団のテロリスト将校がありました。前年にいわゆる満州事変がおこって日本の陸軍が侵略戦争へさかおとしになってゆく一歩がひらかれたときでした。そのとき、将校にとりまかれた首相が、「話せばわかる」というのに対して「問答無用、射てッ」と命令して老首相を倒した海軍中尉が山岸宏でした。十七年の歳月がすぎ、山岸宏の名は山岸敬明とあらためられました。自宅の仏壇に犬養毅の写真が飾ってあり、毎月回向をかかさないそうです。そして、今の民主党の中心的活動家である犬養健(犬養首相の息子)に対面する日を楽しみにしているそうです。その山岸敬明が経営しているのが深川新大橋にある互幸輪タク会社です。この輪タクは「宮様輪タク」とよばれています。それはどうしてでしょう。山岸敬明が輪タクを開業するとき十万円ほどの資本を出
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