配する立場に置かれるのであろうかと、否定的な感想を洩らしておられる。「希望館」を読んだ人々の中で杉山氏と同じような感想を抱いた人が他に一人もなかったろうとは言えないと思う。そして、それを読者の側だけの責任という風には決して言えない作者の責任がある。この二三年来、プロレタリア文学と称する領域の中に目立った一つの傾向がある。それは左翼の活動をかつてした人間、今日は情勢に押されてその活動の自由を失っている人間の人間性というものを切り離して、運動の性質、その場面でのぞましいものと考えられている人間の統一体とは寧ろ対立的な関係にあるものとして、二元的に眺め、最後の軍配を弱く悲しく矛盾に富んだ人間性という方へ挙げる顕著な傾向である。
この異常な傾向或は嗜好は左翼文学の退潮と共に起ったものであった。原因には単純でないものがある。一時、情勢の昂揚につれて個人として見れば種々な点に鍛錬の足りない人々が運動に吸収された。後の困難な諸事情は、そういう人々の、いずれかと言えば受動的な勇気を挫き、昂奮の後の感傷や過度な内省を誘い出した。由来一つの大衆的な運動というものが、真の精鋭のみの小団結ではなく、そのもの
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