代の若い三十代の寧ろ否定的な要素を合理化するような客観的効果を持つ作品を書くこと、そのような作家の内部の組立てについては真面目な反省が求められてよいことなのであろうと信じる。
 インテリゲンツィアが階級をもたぬものであることや、可動的な本質から弱いものであるというような一応型にはまった、消極性の自認が近頃はやるけれども、本当に一人一人が、自分の毎日の生活の内部から現実に身をひたして感じつめて行けば、そこにインテリゲンツィアとしての独自的な要求が湧かない訳はないのである。労働者の要求とは又違ったインテリゲンツィア独特の面からの人間的要求、それを実現してゆく熱意、その門を通じて大衆の動きに参加してゆく可能がない筈はないのである。その道をつきつめて行った場合、はじめてインテリゲンツィアはインテリゲンツィアであるからこそもち得るという種類の、労働者とは違った、だが方向を一つにした不屈な強さをもち、質的に発展することが出来るのであると思う。何か目をそらし何か正面から自身の心とさえ取組もうとしない今日の多数のインテリゲンツィアを、先ず自身の日常の可能の自覚の前にぴったりと引据えること、その任務こそ、ヒューマニズムが生新溌剌とした新文芸思潮として負うている任務の最も重大な一つであろうと思う。[#地付き]〔一九三七年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸春秋」
   1937(昭和12)年4月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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