篇は、この作者が数篇の小説に於て所謂買われて来た面を破綻的に現していることで注目に価する。「希望館」とこの「父たち母たち」とでは作柄が違って見えるが、根本的な傾向として抽象的に人間性を取り上げている点では同じ性質の二作なのである。
プロレタリア文学が辿って来た発展の歴史を省ると、この人間性の抽象的な尊重という傾向は、ソヴェトの文学運動の過程にもかつてあったことである。一九二九年から三一年頃までの間に、ソヴェトの文学では過去の単純に英雄化された人間の描写を発展させるべき方向として、人間を描けということが言われた。善玉悪玉でない生きた人間を描けということであったが、ソヴェトに於てもこのことは一部の作家に曲解された。リベディンスキーがこの課題に答えようとして書いた「英雄の誕生」は、この提言がどんな風に或る作家の個性的なものによって誤解されるかということが示された作品であった。リベディンスキーは、「英雄の誕生」の中で経験を積んだ政治家の日常活動と対立した性慾の問題を切り離して扱い、その誤った人間性の理解について多くの批判を受けた。
ソヴェトではその後、社会主義の建設が進むにつれて、大衆の経済的、文化的実力にふさわしい社会主義的リアリズムが芸術の創作方法として取り入れられている。このことに就いても見落せない文学上の一つの理解の相違が、日本の文学の中に今日尚曖昧のままに残されている。インテリゲンツィアや小市民的な技術家が勤労者として精神的にも再教育されて来たソヴェトの社会的現実の上に立って、芸術の創作方法としての社会主義的リアリズムが称えられて来ているのであるが、日本では異った事情の上にその提唱が受け入れられた。そして、文学の面では或る意味で従来はそのものとしては否定されて来た小市民的な要素、言い古された形でのインテリゲンツィア性を文学作品の内容、表現に復帰させ得るきっかけのように、一部の紹介者によって説明された。これには内部的なまた外部的な諸事情がからみ合っているのであるが、主なものはプロレタリア文学運動の指導方針の中にあった政治と文学との関係を見る点が文化主義的なものの影響と、当時のプロレタリア作家に未だ不足していた実力、権力の側からの強圧に対する受動的な態度等が相互的に関係し合っていたと思う。当時一概にプロレタリア作家という名に呼ばれてはいても謂わば一人一人の主観の真
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング