あるというならば、誤りも甚しいものなのではなかろうか。環境は人間を作る。しかし人間はまた環境を自分から作ってゆくものである。生活の達人たちは皆この原理を体得した人々である。河合栄治郎氏が、氏としての熱誠を傾けたこの論文の中で、若き時代に健全な人間性を取り戻すためには、従来の意味での形而上学的の理想主義の人生観を彼等の中に確立させてやらねばならないと主張しておられる。「希望館」の山村がそれに対する闘いは全く放棄している非人間的な生活の現実から眼を離して夜は遠くギリシャの哲学の中にプラトーやソクラテスなどと遊んでいるその姿は、河合氏の形而上学的な人格完成の翹望の声を、間接ながら思い浮ばせた。河合氏は、人格は各人の精神的努力に俟《ま》つほかなく、その成長を可能ならしめるためには社会制度をあるべきものたらしめることが必要であり、人格成長は必然に社会改革への情熱を伴うであろうと言っている。そして理想主義者は常に社会改革者であらねばならないと言いつつ、氏は特に高等教育が「学をそれ自体の為に愛するものの為のみ」に解放されるべきことを主張している。この間に氏の学者としての歴史性を示す微妙なギャップと飛躍とが秘されていることを感じるのは私一人ではあるまい。
 先頃「科学者の道」という映画が来て、あれを見た人はそれぞれ心に感動を受けた。科学者パストウルの生き方がわれわれを感動させるのは、彼が科学者として人類の幸福に情熱的に直接に結びついて行った、その姿である。現実の人間の苦痛と不幸に面して、パストウルは科学者としての要求から着実に次から次へと害悪を及ぼす細菌との具体的な、日常に即した闘争を行い、その途上での障害に対しては驚くべき不屈を示した。映画として観れば、細部に納得の行かぬ点、あまり好都合過ぎる点、カメラの効果の点で疑問がない訳ではなかったが、この作品が昨年度の傑作の一つとなり得たのはポール・ムニの演技がこの科学者の人間的諸感情、情熱をその仕事との綜合でまざまざと生かし得たからであった。伝統的な芸術の中でさえも優秀なものは自覚し得ない自身の制約に苦しめられつつ、人間性のあるべき姿を捕えようとする努力を惜しまない。社会の歴史と人間性とを更に客観的な新たな方向と価値で表現すべき階級の作家、特にその人々が実践に参加していたということで先入的な期待を読者に抱かせる習しをもっている作家が、現
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