写することではない。自然を表現することだ!」「我々は事物の精神を、魂を特徴を掴えなくてはならない。」芸術家は「自然が真裸になってその神髄を示すのやむなきにいたるまでは根気よく持ちこたえ」なければならぬ。そして「線というものは」(文学での言葉は)「人間がそれによって物体に落ちる光の効果を説明する手段だ」とバルザックは考えた。或る芸術の中に外観がよく掴えられ、本当のように描かれている。「それでいい。しかも其では駄目だ。君達は生命の外観だけは捉える。けれども溢れ出る生命の過剰を現すことが出来ない。」バルザックが、以上のような規準に従って現実ととり組み、自身の文体をも構造しようと努力した態度の内には、今日においても学ぶべき創作上の鋭い暗示、真の芸術的能才者の示唆を含んでいる。それだのに、バルザックは何故作品の実際では、あのように量的には未曾有の技術の鍛錬にかかわらず、終生混乱しつづけたのであったろうか。どこから、あの全作品を通じて特徴的な、リアルで精彩にとんだ描写と※[#「女へん+尾」、第3水準1−15−81]々《くどくど》しく抽象的な説明との作者に自覚されていない混同、比喩などにはっきり現わ
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