ってしまった[#「批評家になってしまった」に傍点]。」云々ということを書いたのにひどく拘泥して、バルザックの死に際して書いた文章の中にわざわざ今日の我々から見ると意味ふかい数行を書き加え、バルザックは批評を無視したことを言っている。サント・ブウヴはその感情的基礎に我れ知らず作用されて、バルザックに対してはどちらかというと批評家としての自身の才能を活かしていない、言いかえれば出し惜しみをしているのであるが、バルザックの文体を「彼の文章の中には生き生きとはしているが、不十分で、勝手気儘で、しっかりと決っていない表現が沢山にある。それは、表現しようと企てて[#「企てて」に傍点]いるもので、何処まで行ってもそうである。彼の印刷屋はこのことをよく知っていた。」「彼にとっては鋳形そのものが常に煮えくり返っていたのであるから、金属の形の決りようがなかった。」と評しているのである。
バルザックの文体の不確実であるという意見では、テエヌも決してサント・ブウヴと反対の側に立っていない。彼も、サント・ブウヴと同じようにフランス文学の古典の中に教養をうけて来た人にバルザックの作品を読ませたら、どんなに彼等は
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