徳律の領域に描写を止めているのは面白いことである。バルザックの一日の内容にはもっともっと他の重大なことがあった。即ちベルニィ夫人やハンスカ夫人のように会わずに暮している過去の、或は未来の、彼が「会わないうちから夢中になっている」愛人たちに向って熱情の溢れるような手紙を書くこと。及び「彼の想像力は無尽蔵に次から次へとその手段を思いつかせた」やり方で押しよせる高利貸を宥め、債権者を納得させ、勘定書をもって来た出入りの商人から却って金を借りる等という困難きわまる芸当。更に出版権にからまる絶え間ない訴訟事件があり、代議士立候補のための、進んでは大臣になるための政見を発表し、しかも時々バルザックは一八二五年の破局にもこりず熱病にかかったように大仕掛の企業欲にとりつかれ、サルジニアの銀鉱採掘事業や、或る地勢を利用して十万のパイナップル栽培計画を立て、新式製紙術の研究にまで奔走したのである。実にバルザックの生活は目もくらむばかりの熱気に顫える一大機関のようであった。彼は真に我々を驚歎させ又沈思させる意志と忍耐力と情熱とで、その生活の波濤をよく持ちこたえ、芸術活動は修飾ない巨大な労働であることを理解し
前へ 次へ
全67ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング