ったというところで、自身納得しようとしたらしい。反感を含んだ批評家は、バルザックが手紙の中でも自分のことしか書かぬ程自我的であったこと、情熱の制御を知らなかったこと等を部分的にとりあげて、一種病的な偏執狂的傾向があったと言っている。そのような批評家は同じ考えを作品にまで敷衍して、バルザックの描く主だった人物を見よ、ゴリオにしろ、ベットにしろ、皆その人生を慾望の偏執によって貫く異常人ではないかと強調するのである。
 猶我々の興味をひくことは、同時代の作家たちの間において、バルザックは果してどのような位置を占めていたであろうかという点である。彼は、卓抜な芸術上の同時代人たちとの友愛をたのしみ得た作家であったのだろうか? 尊敬され、或は畏怖される文学上の同輩であったろうか。
 私共はここにおいて実に興味ある一つの現実に遭遇する。それは、バルザックが一八三〇年代からフランス文学に咲き乱れていた絢爛たるロマンチシズム文学の只中にあって、全く一人の例外者、ユーゴオなどに云わせると、文体もきまらない才能のない野人として、寧ろ除け者のようなとり扱いを受けていたことである。
 知られているとおり、フラン
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