も過言ではないであろうと考える。
 頻繁で噪々しい笑いの持ち主、その頃流行の優雅な身のこなしとはまるで逆にずんぐり太ってさながら「愉快な野猪」めいた農民出のバルザックが、仰々しい貴族まがいの身なりに伊達者ぶって、例のトルコ玉を鏤めた杖をつきつつ、ダブランテス公夫人やカストリィ公夫人の後から得意気にオペラの棧敷へなど現れた光景は、今日の我々の想像においても相当色濃い諷刺画である。ましてや同時代人の目に、そのような傍若無人なバルザックの姿は、最もよい場合で意味ありげな微笑を、更に嘲笑と悪意ある侮蔑、嫉妬を挑発したということは理解される。バルザックが自分で「バルザック的狂乱」と形容した生涯について、実に暖い理解と評価とをもってその研究を書いたブランデスでさえも、バルザックには、その真実に近づこうとする偉大な情熱、人間を描き得る驚くべき天才にかかわらず、「『教育と素養』とも言うべきものが欠けていた」と言わざるを得なかったのである。
 仕事ぶりも、恋愛も負債も、すべてに所謂度はずれなバルザックの生活ぶりに圧倒されて、同時代は勿論後世にも或る種の人は、バルザックを一種の人の好い俗悪な誇大妄想者であ
前へ 次へ
全67ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング