文学の文体について一つ二つの法則を知っていたならば少しはましであったろうにと論をすすめ、ペトロニウスを引合いに出したりして前世紀文学の文体の中庸と新古典主義時代の内容とを求め、ジョルジュ・サンドと比べて「マダム・サンドがバルザックよりも大きな確かな、力強い作家であることは今更言うまでもない」という風な我々の理解力ではうけがいがたい評価にそれ、反動的泥濘に陥ってしまった。
テエヌは、以上のようにバルザックの文体に対して与えられる可能のある殆どすべての非難を引き出した後、そのような「全くフランス的な、古典主義的な判断は、十七世紀のフランス人の生活と精神の習慣から来ている判断である。」と解釈した。十七世紀の人々がそこに文化の中心を置いて生活していたサロンと、その時代の社交界の人々が「優美な代数式を語るような」順序や語源や、比喩の釣合いに絶えず制御されていた分析的な考え方等は、バルザックが生きて、愛し、苦しんで、金銭のために焦慮しつづけた十九世紀前半の社会生活の現実の中に既に跡かたもないものである。サロンの代りにイギリス流のクラブが出来ている。花やピアノの飾られた部屋ででも話すことは「政治、鉄道、それから文学のことを少し、事務のことを沢山」男は男だけかたまって、しかも夕飯後は喫煙室へ行って話すようになって来ている。「二十五六を越えた男でダンスをする者が何人あろうか。そして実際それも道理である。」バルザックが実際社会に日夜接触する男たちは、自身の没落によってか、さもなければ成り上りの野望の成就、そのための陰謀、偽善、買収のために疲れ、心配気で、本当の笑顔を失った男たちばかりである。テエヌは十九世紀初頭の「パリは全世界のあらゆる思想が詰込まれ、精錬された貯蔵所であり、蒸溜器である」ことを認めている。「かくの如く神経過敏になり、かくの如き環境に育って、彼等はいかなる種類の思想にも喜びを感じることが出来、しかも奇抜な形をとった思想をしか認容しない。」「バルザックが、その怪奇癖と、衒学趣味と晦冥で誇張的なその文体とで、以上にのべた近代人の趣味が要求するものの猶上を行っていることは遺憾ながら私も認めざるを得ない。しかし、それは問題でない。バルザックの聴衆はそれ独特のものであり、そのものとして申し分のないものであり、他とは別箇のもので、他と同様に生存の権利を主張し得るものである。」そし
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