合った家柄の者と結婚させたいという最後の苦しい願望に集注されているのである。
クルベルは、夫人をしつこく口説くのであるが、その、あの手この手は悉く男爵家の陥っている経済的困難を中心とする脅威であり、誘惑である。色と慾とに揺がぬ根をはった強い色彩と行動との中にいつしか読者はつり込まれ、
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「若しも私が貴方のために操を破って居りましたら、クルベルさん、それでも貴方はそのようなことを仰言ったでしょうか?」とユロ夫人はクルベルの顔を見詰めながら云った。
「そんなことを云う権利はなかったでしょうね、アドリーヌさん」とこの奇妙な恋人は男爵夫人の言葉を遮りながら頓狂な声を出した。
「私のこころにさえ従っていれば、あなたは私の財布の中からオルタンスさんの持参金を出せますからね……」
さて、その言葉を証拠立てる積りでもあったのか、脂肪肥りのクルベルは、床に膝をついてユロ夫人の手に接吻した。
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この活々と緊張して、而も落付き、社会の裏面を露《あば》く惨酷さでは骨髄を抉っている描写は、消えぬ絵となって我々の印象に焼きつけられるのである。同時に、何か漠然とした驚きが引き起こされる。バルザックは、何と普通のような顔つきで、この醜怪と苦痛とを描いているだろう! と。
読み進んでゆくうちに、読者は到るところで、しっくりはまりこめない凸凹した説明にぶつかったり、そうかと思うと、思わず作者バルザックに対する疑いを喚び覚まされるような大仰な、出来合いの大古典時代めいた形容詞を羅列した文章に足を絡まれる。非常に古代美術愛好家風な、衒学的な、却ってそれが一種の野卑を感じさせる婦人の美の説明が我々を間誤つかせていると思うと、それはいつしか十九世紀のブルジョア勃興期にフランスで、そしてイギリスでも所謂下層階級の出身の美しい娘がどんな道行で没落に瀕したか、或は成り上りの貴族夫人となったかという社会的な過程を熱のある筆でくまなく我々の目前に展開していることを知るのである。
野蛮人や下層階級の心理について独断的な傾きのつよい作者の説明に対して極めて自然に、そして正当に後代人である我々の心に起る反撥。唐突に持って来て、ギリシャ神話中の名と並べてつかわれている自然科学上の様々な用語が読者に与える寧ろ子供らしい落付かなさ。我々は希望するしないに拘わらず、生粋の放蕩者
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