するこれらのロマンチスト作家たちが互に「焔の如く燃ゆる人々」として結合し合い、互の独創性を尊敬し、創作をたすけあい刺戟しあったばかりでなく、この時代は、フランス芸術の歴史にとって謂わば「ルネッサンスの運動にも似たような運動が人々の心を捉えてしまった」特別な一時代であった。作家は作家同士、意気投合して結ばれ合ったばかりではなかった。文学と音楽、音楽と絵画と、それぞれの姉妹芸術は、これまでにない深い心酔で互を評価し影響しあった。音楽家のベルリオーズは「チャイルド・ハロルド」や「ファウスト」を主題として交響楽を創り、ドラクロアのアトリエではユーゴオの小唄が口誦まれた。そして、ユーゴオ、ゴオチェ、メリメのような作家たちは、創作の間に絵を描いた。実に彼等は「すべての芸術において美しい色彩や情熱や文体を」ねらったのであった。(サン・シモンやフーリエの空想的なユートピア社会主義の思想がこのような雰囲気に培かわれ、ユーゴオ、ジョルジュ・サンドの作品その他に反映した。)
 けれども、ユーゴオを先頭とするこの時代の光彩陸離たるロマンチシズムの作家たちにもう一歩近づき、仔細に眺めると、そこには微妙な形でバルザックにも関係する或る矛盾が発見される。ブランデスは既に彼の卓越した十九世紀文学の研究において、当時のロマンチスト達が、自然を謳歌したことは事実であったが、「彼等の愛する自然はロマンチックな自然であった」ことを洞察している。彼等が「没趣味なもの、俗悪なもの、平俗なものとして斥けたものも、質朴な自然そのものに外ならないことが余りにも屡々であったのである。」
 バルザックが、彼の作品でとりあげたのは正にそのロマンチストたちにとって俗悪・低劣とされたところの金銭及び金銭に絡む大小俗人の、こまごまとして塵のひどい日々夜々、そのベッドにまで這い上って来る悲喜劇であった。ロマンチスト達が自らを高く持して、それから一刻も遠のくためには古代ギリシャの美術品の鑑賞へ熱中するばかりか、美を求めて遠くアフリカへまで旅立つことを辞さない間に、バルザックは金儲け、立身出世、瞞し合いのブルジョア社会の現実へ突ささって而もそれをやはりロマンチシズムの時代は争われぬきつい色どりで彼流に描写しているのである。
 二十代のバルザックがまだ偽名であやしげな小遣いとりの小説を書いていた頃から彼を知っているサント・ブウヴなども
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