であった。
 性格的にはベルニィ夫人と全く反対のカストリィ公爵夫人の気に入るために、バルザックは数県から王党派代議士として立候補し、いずれも落選した。所謂高貴な骨董趣味に溺れて莫大な蒐集をはじめたり、邸宅を構えようとしたり。総ては金のいることばかりである。
 この期間は、今日になって眺めるとバルザックのさして永くない生涯にとって、最も急テムポに彼の政治上の王党派的傾向とカソリック精神とが堅められた時代であった。然しながら、この頽廃的で奢侈な公爵夫人との恋愛とその感化によって恐るべき浪費をし、益々王党派、カソリック的傾向を強固にされながら、而も一方においてはその金のやりくりともぎ取りのため、壮年に達したバルザックが益々創作に身をうちこみ、益々刻薄な社会の現実に突き入ってダニのような高利貸、卑屈傲慢な大小官吏、気骨なきジャーナリスト、企業家等と愈々猛烈露骨な闘争を繰返さなければならなかったというのは、何たる意味深い歴史の必然であろう!

 大体、過去においてオノレ・ド・バルザックについて書いたほどの人で、彼の貴族好みに現れた趣味の低俗さを指摘しなかった伝記者、評論家は一人もなかったと云っても過言ではないであろうと考える。
 頻繁で噪々しい笑いの持ち主、その頃流行の優雅な身のこなしとはまるで逆にずんぐり太ってさながら「愉快な野猪」めいた農民出のバルザックが、仰々しい貴族まがいの身なりに伊達者ぶって、例のトルコ玉を鏤めた杖をつきつつ、ダブランテス公夫人やカストリィ公夫人の後から得意気にオペラの棧敷へなど現れた光景は、今日の我々の想像においても相当色濃い諷刺画である。ましてや同時代人の目に、そのような傍若無人なバルザックの姿は、最もよい場合で意味ありげな微笑を、更に嘲笑と悪意ある侮蔑、嫉妬を挑発したということは理解される。バルザックが自分で「バルザック的狂乱」と形容した生涯について、実に暖い理解と評価とをもってその研究を書いたブランデスでさえも、バルザックには、その真実に近づこうとする偉大な情熱、人間を描き得る驚くべき天才にかかわらず、「『教育と素養』とも言うべきものが欠けていた」と言わざるを得なかったのである。
 仕事ぶりも、恋愛も負債も、すべてに所謂度はずれなバルザックの生活ぶりに圧倒されて、同時代は勿論後世にも或る種の人は、バルザックを一種の人の好い俗悪な誇大妄想者であ
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