の欲求を充す最も有力な土台となるのは自身の芸術上の成功であることを直覚していたから、落付いて本当の文学的作品を書く余裕をつくるためにも、彼はたまらなく金が欲しかったのである。
想像力と思いつきとに溢れたバルザックの頭は、或る特殊な出版事業を思い立った。それは、フランス劇文学におけるアポローであるモリエールと十七世紀の大古典派の宝ラ・フォンテーヌの作品の美しい絵入り本の出版とその売捌きである。一八二五年、ロシアでは有名な十二月党《デカブリスト》の反乱が悲劇的終結をとげた年、愈々この出版事業にとりかかった二十六歳のバルザックは、自分から活字屋になり、印刷屋になり、本屋にまでなって悪戦苦闘したのであったが、この金銭争奪で未熟な事業家バルザックがその一身に受けた打撃は恐ろしいものであった。ブロックをつくってそろそろと、しかし確実に孤立した小資本の企業を食い殺す大資本企業家の悪辣な術策がバルザックを破滅させた。フランス全国の同業者等は、この唐突に現れた資本も少ない若年の一出版業者が、疑なく時流に投じるであろう出版計画をもっていることを見極めると、共通な悪計によって結束した。一万フランの資本をかけて出版した本の売上げが、一年にやっと二十部という目にあわした。たった三年の間に、十二万フランの負債をしょったバルザックは、遂に力つきて、美しい出版物を紙屑のような価で投げ売りにした。その時を計画的に準備し、待っていた同業者共は、労さず数万の利益を得たのである。
この恐るべき三年間を始りとして、バルザックは終生近代資本主義経済の深奥のからくりにふれざるを得ない立場におかれるようになった。彼は金の融通の切迫した必要から銀行の組織に精通し、パリじゅうの高利貸と三百代言を知り、暫くではあるが公債のためにサン・ラザールの監獄へぶちこまれた。再び狼の爪につかまれぬためには、変名して手紙を受とったり、住居を晦《くらま》したり、辛酸をなめた。母親とベルニィ夫人の助けで一時は凌いだが、バルザックはこの破綻で「単に貧しい男となったのみではない。」「苦しい借金を免れ、母から借りた金を返すために生涯の間休息も安眠も出来ず働かなければならない」端目に陥ったのである。「経済の安易を求めて却ってその困窮を招いた」わけである。
多くの伝記者は、バルザックが常に好んで「私の借金、私の債権者ども」と云ったことを記録
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