たけれども、公証人の収入と小説家の収入とを敏感にくらべている両親を納得させ独立するために、金はやっぱり自身のペンで稼がなければならぬ。ヴィルパリジェスに住んだ四五年の間に、バルザックは、或るものは独りで、或るものは友達と協力して、妹ロオルの言うところによれば、実に数十冊の小説をいくつかの仮名で書き、それを売ったのである。不如意な窮屈な生活と闘い、自分ながら本名を出しかねるような三文小説を売りながらも、次第にバルザックは文学における自身の力をおぼろげに自覚しはじめたらしく思われる。彼は「自分の思想の一番いいところをこんな仕事に犠牲にしなければならないのは堪らない」と歎息を洩している。この期間に、有名なマダム・ド・ベルニィとバルザックとの十年間に亙る意味ふかい相識がはじまったのである。
 ロオル・ベルニィ夫人の父というのは、ルイ十六世の宮廷に出入してマリイ・アントワネットの音楽教師を勤めたヒンネルというドイツ人であり、母は、ルイズと云い、マリイ・アントワネットの侍女の一人であった。父の死後母は熱心な王党員である司令副官と結婚し、この一家とマリイ・アントワネットのきずなは、アントワネットが断頭台にのぼる前、ロオルの母に自分の髪飾りと耳輪とを形見に与えた程深いものであった。
 そのような環境の中に幼時を経た頭の鋭い感傷的な性格のロオルは、僅か十五の年、宮廷裁判所の判事である貴族出のベルニィと結婚させられた。大革命期には夫妻とも九ヵ月幽閉され、ロベスピエールの失脚によって解放された経験もある。早すぎて母になったベルニィ夫人と良人との結婚生活は性格の不調和から冷たいものであった。ベルニィ夫人の夏別荘がヴィルパリジェスにある。そこへ息子の復習を見てやりに行ったのが機会となって、バルザックは当時二十歳以上年上であった夫人と結ばれたのである。
 バルザックにとってこの結合は初恋であり、ベルニィ夫人にとっては最後の恋であった。この結合において、若いバルザックの受けた影響の深刻さは、彼の無限な作家的観察力をもっても猶自身の力では計ることが不可能であったと思われる程のものがある。ベルニィ夫人はバルザックを世間に押し出すために全く「母以上のもの、友達以上のもの、一人の人間が他の人間に対してなし得るすべてのものに優る」献身的な情愛と社交婦人としての実際的な手腕を傾けたのであった。彼女はバルザッ
前へ 次へ
全34ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング