用されることによって日常実生活の本質に於て非プロレタリアート的に堕した見本とも云える。
 同じ理由で、ソヴェトの革命当時擡頭した作家が今日大衆の厳格な批判の下に立っているのだ。
 ――だからね、
 自分はその知人に説明した。
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――これをただ、仲間の泥仕合という風に嗤うのは間違いだ。まして、読んだでしょう? 中村武羅夫が朝日で云ってること。つまり、初め既成文壇の勢力がつよかったからその敵に向って塊りあってたプロレタリアート作家が、この頃安心してモロくなって分裂しはじめたんだって。そして一寸好い心持ちそうに、互に排撃するのは(やり合うのは)いいが暴力沙汰は一般人に不愉快な印象を与え、ひいて我国の無産運動に汚点をのこしたことになる云々と云ってる。だが無産運動、プロレタリアート文学の本道はこんなことでビクつくようなヤワなもんじゃない。断然ない。大衆的なプロレタリアート文学上の意見の相異はどこまでもプロレタリアート農民大衆の前で公開的に行われるべきだ。ソヴェトは『文学新聞』『労働者と芸術』などの上で常に活溌にいろんな問題を批判し清算しつつある。それをまるで箇人的に黒島一人ひっぱり出して、おまけに日本刀をこねまわしたなんてことは、幹部派がどんな非マルクシズム的イディオロギーをもってるか、雄弁に語ってる。例え百人の黒島をひっぱって来て百枚脱退声明取消文を書かしたところで、それが彼等の反動的イディオロギーを、自覚あるプロレタリアート農民の前にどう糊塗出来る?
――ふうむ。そんなわけか。じゃあつまり理窟は五分五分で喧嘩両成敗とは行かないんだな、幹部派なるものの正体がそういうんじゃ。
――実際階級闘争に従っているプロレタリアートは、はっきりここでは云いかねるほかの事実もあって、夙に文芸戦線が自分達の味方でないことは知ってるんです。ただ、残念なことは活字ってやつは、社会民主主義者の書く「民衆の為に」っていう文字も、本ものの民衆の為の闘争組織が書く「民衆の為に」っていう字もみんな同じ型にうち出すもんだからね。
[#ここで字下げ終わり]
 三週間めの日本の空は水色で、銀杏の葉は金色だ。失業救済事業公債が二千七百八十万円と内定し、上野ではプロレタリア美術展がひらかれてる。
[#地付き]〔一九三〇年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
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