く個人的な封鎖をされている。ピカソとマチスを並べてみてある共通性があるとしても、それぞれ独自の世界であり、ルオーのグロテスクは武者小路実篤にわかると思われていても数百万の勤労者に分らないのが自然である。美術品も商品である。これが資本主義社会での美術である。画商の存在の意義を考えればよく分る。
 芸術における独自性と独得なテンペラメントと、商品としての独自性の必要とはブルジョア画家の画業のうちにかなしくまじりあってかれらをかりたてている。
 近代の絵画の一ツの特徴のようになっているディフォーメイションということは、今日、重大に考え直されねばなるまい。音楽上のディフォーメイション、文学上のディフォーメイション、それはどれもみんな主観的な角度で或は感覚で客観的な現実を別の形に変形させること、つまりディフォームさせることである。
 人間精神の美と客観的真実とはディフォーメイションであるだろうか。ルネサンスにディフォーメイションがあったろうか。鋳型にはめたような中世の肖像画からレオナルドの生きた人間がおどり出した。ディフォーメイションは大づかみにいえばそのものとして発展する新しさを失った、近代の
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