、一緒に住んでいたバクウニンを大分煙ったく思った経験があるらしい。
ヴィアルドオ夫人と知ってから後もロシアに住んでいた五〇年代の初め三年間ばかり、ツルゲーネフは非常な美人であるが、文盲な農奴の娘であるアブドーチャ・イワーノ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]と同棲していたことがある。アブドーチャはツルゲーネフの娘を生んだ。ツルゲーネフは結局この女を捨てた。後、娘が二十を越して或るフランス人と結婚するようになった時もツルゲーネフはその娘の母であるアブドーチャの行方は知らなかった。地主の旦那であるツルゲーネフにすてられてからその女は、どこかの目立たぬ役人の妻となって暮していたのである。この農奴の娘に対する無責任な交渉も、ツルゲーネフにとっては、のちのちまで心にかかるような深刻な問題として印象にのこる種類のものではなかったらしい。
こういうたちのツルゲーネフを器用なヴィアルドオ夫人が自身の芸術上の教養やパリの爛熟し、錯綜した社会の間で練られた世渡りの術やによって、こまごまと、嘘とまことを綯いまぜつつ賢く統帥して行ったであろう光景は、さながら一幅の絵となって髣髴と目に浮ぶようである。ヴィアルドオ夫人は「従妹ベット」がパンセラスの仕事を督励したとは別の方法で、言葉で、宝石の沢山はまった奇麗な白い手で、恐らくはツルゲーネフの芸術活動と、その成功を刺戟し、部分的には精神的共働者でもあったであろう。ぐうたらなツルゲーネフが「全生涯を通じて、少年時代の自由の信念を忠実に持し得たのは偏にヴィアルドオ夫人のおかげである」。
たださえ「力よりも寧ろ優美さにおいてまさる」文章をかくツルゲーネフが、上述のような生活環境にあって、作中に女の人物を書く場合特殊な情緒の集注をもって描いたのは自然なことである。
ヴィアルドオ夫人とのこの独特な結合は、ツルゲーネフを一種の恋愛偏重論者にしたかのように見える。彼は、男でも女でも、それぞれの人物が人間として最も光彩を放つのは、それぞれの人物が日夜たずさわっている仕事の裡においてではないと考えた。人はただ恋愛においてだけ個性の輝きを示し、独創性をも発揮し得るものである。ツルゲーネフはそう確信していたらしい。多分「ルージン」に対してであったと思う。同時代の批評家が、ルージンが既成の社会と闘争してゆく日常活動の様々の面が作品に扱われていないことについてそれを遺憾とし、批判した時もツルゲーネフは、自身の恋愛一義的態度を主張したのであった。
ツルゲーネフのこの見解は、彼の死後十八年を経て、恐らく彼自身予想もしなかったであろう、一人の同感者を見出している。ロシアの歴史的なアナーキストであり、地質学者でもある公爵ピョートル・クロポトキンが一九〇一年に、ボストン市で「ロシア文学の理想と現実」という講演をやったことがあった。そのときクロポトキンは、ツルゲーネフの諸作品の重要なモティーヴが殆ど皆恋愛におかれていることに聴衆の注意をひき「ルージン」の扱い方では作者にすっかり同意を示した。クロポトキンは、語調に熱さえふくめてこう云った。「マッジニイとラサールは同じような仕事をした。しかし彼等はその恋愛において、如何に異っていたであろう! 諸君はラサールとハッツフェルド伯爵夫人との関係を知らずしてラサールを識ることは出来ぬ。」と――
成程、われわれは、帝政時代のロシア貴族階級が生んだ国際的な作家の一人である伯爵イ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ン・ツルゲーネフの生涯を語るには、彼の娘を生んですてられた美しい、字の書けない農奴の娘アブドーチャの存在を知らなければならない。更に、彼の半生を支配してパリにしばりつけるほどの魅力の根源となった婦人、彼によって描かれるばかりでなく、彼をして書かしめる力となった活溌な、美貌の歌手ヴィアルドオ夫人との微妙な関係を知らねばならない。
しかしながら、現実の生活において何が彼等を斯くもはなれ難く結びつけたかといえば、それはツルゲーネフやクロポトキンが文学的には書く価値のないものと考えた、日常の仕事を中心とする生活環境そのものではなかったろうか。
ツルゲーネフが二十を越したばかりのロシアの富裕な貴公子で、天性優美と不決断とを持った西欧主義者として当時ペテルブルグの華やかな社交界に余暇の多い日々を送っていたればこそ、舞台以外のヴィアルドオ夫人と親しくする機会をもち、彼とは対蹠的であったらしい夫人の溌剌とした性格、処世術の魅力によって、生涯を支配されるに至ったのである。
恋愛において個性が燃え立つのは、恋愛があらゆる場合、その個性の属する社会層の思想、習慣等の集約的表現だからである。様々の階級的感情、社会の一般的情勢に制約されつつ、或る者は恋愛をモメントとして自己の階級から脱離し、或る者は一層かたくそれと結合する。その相剋の間に、各々の個性が最も覆いもなく独特の調子、やりかたをもって発動し、それを大きく社会的に観れば自分の所属する階級の崩壊へ、或は前進への必然の道を遂行するのである。
ツルゲーネフは、恋愛を制約する社会性というものの力を洞察し得なかった。当時のロシアの民衆の生活はゴーリキイの幼年時代によって明らかなように野蛮な暗い農奴制ののこりものである家長制に圧しつけられていた。農民、労働者の間に個性の自由や恋愛ののびのびした開花は無智と窮乏によって、貴族と小市民との間にあっては封建的なしきたりで、それが凍らされていた。
個性の解放を欲求した面でツルゲーネフは全く生々しい若いロシアの要求を表現したのであるが、それを恋愛の行為にだけ納めて自分から納得したところに、彼の徒食階級の作家らしい非現実性が見られるのである。
ツルゲーネフの見かたに従うと、或る一つの恋愛がこの社会にあって歴史の発展とどういう関係で結ばれているかということは、作品の主要な問題ではない。恋愛のいきさつ一般が人生の波瀾の中心事であると考えられている。従って、作者の腹に入って見ると、「その前夜」に描かれている恋愛の本質を「春の水」のマリヤの気まぐれな恋愛と比べて見た場合、どちらが社会的な価値において高いという、はっきりした選択と主張はされていない。
あれを書き、これも書きという風にツルゲーネフは、自分の気分に応じてそれぞれ全く相反する「父と子」や「煙」を書いている。
ロシアの急進的な若い男女は、階級と階級との益々明らかな対立、そこから生じる現実の烈しい鍛錬によって、「ルージン」の時代から「その前夜」「処女地」へと推移した。ツルゲーネフも、それにつれて外側から観察しそれぞれの時代の作品を書いて行ったが、パリにおける自身の生活の実践ではヴィアルドオ夫人に支配され、始めの時代の懶《ものう》い形態から本質的には何の飛躍もしないままに残ったのである。
同じように婦人のために生涯多くの経験をもったバルザックの生きかたとツルゲーネフの生きかたとを思い合わせると、私は実に活々した興味と教訓とを覚える。
ツルゲーネフより十九年上のバルザックは、ベルニー夫人やアブランテス公夫人との様々な交渉の間に、自分の経済的必要から、種々の或る場合は極めて筋のあやしい事業にまで手を出し遂に悲劇的な生涯を終ったが、それらの社会的実践の間にバルザックは嶮しく現実の社会で対立する利害と渡り合い、あのようなリアリストとして、自身自覚しなかった役割を歴史の上で果した。
ツルゲーネフは、自分の社会生活においての消極的な面、従って作家としても非現実的に陥り易い面を一番傷けず、苦しめずにおく温床のようなヴィアルドオ夫人との交渉の裡にすっかりうずまって、自分の文学的才能にだけたよって暮した。彼はパリへまで吹きつけて来るロシアの若い時代の嵐を、自身は温室の硝子の内から観察したのであった。
ツルゲーネフが、女を非常に同情的な態度で描いたことは、彼の作品の顕著な一つの特色であろう。私達はヴィアルドオ夫人がツルゲーネフに与えた深い影響をそこにも感じるのであるが、果して同時代の急進的な若い婦人達は、どんな感想をもって、ツルゲーネフによって描かれたエレーナやマリアンナを読み合ったであろうか。
七〇年代、八〇年代といえばロシアは「人民の中へ」の運動から「人民の意志」党などの活動へ移った時であり、有名なヴェラ・フィグネルなどを先頭に夥しい数で社会の各層の若い婦人が解放運動に身をもって投じた時代である。世界的な権威ある数学者で、魅力のある文章をも書いたソーニャ・コバレフスカヤが、まだ若い娘で勉強のため教授コバレフスキーと旅券結婚をしてスウィスへ行ったのもこの時分のことである。これらの、ロシア的情熱に燃え、つよい意志をもった新時代のチャンピオンたちは、本当にどんな感想で、あまり単純でロマンティックなエレーナを、或は何か非現実的で丸彫りでないマリアンナを、自分たちの激しい前進的な生活とひきくらべつつ読んだであろうか。
ツルゲーネフの諸作品が、所謂「美文学」としてハンディキャップをつけてよまれ、一方チェルヌイシェフスキイの「何を為すべきか」が行動の指針として有能な若い男女の間で読まれたということも、おのずから今日肯けるのである。
ツルゲーネフとトルストイとの衝突は既に文学史的な出来ごとである。二人の大作家が十五年間も意志の疏通を欠いたばかりか、或る時は本気で決闘までしかねまじい程激昂したには種々の原因があったに違いない。が、対立の原因となる多くの見解の相違中のただ一つ、恋愛や婦人に対する二人の考えかたの違いだけを見ても、私は十分ツルゲーネフとトルストイは和睦のない対立に置かれたであろうと考える。
何故なら、ツルゲーネフは、恋愛や婦人についての見解においてはどこまでも所謂西欧主義者である。フランスの一応恋愛を尊重するかのように見える習慣、婦人に対してつくす男の騎士道などというものを疑わず、その上に安住して、流麗な、傍観的態度でどっちかといえば甘い、客間で婦人たちに音読してきかせるにふさわしいような文章の作品を書いて行く。
社会的な光に照して見れば、彼とヴィアルドオ夫人との結合にも、いろいろの問題がふくまれている筈である。然し、ツルゲーネフは生活的な力で例えばその点にさえ突こんで行こうとせず、謂わば当時のブルジョア的な社交界の調子の低い物の見かたに跟いて、起るべき自身の苦悶をやり過して暮している。
芸術家としては最小抵抗線を行くものであるツルゲーネフのこの態度が、血気旺なトルストイを焦立たせたということは、実によくわかる。ツルゲーネフがヴィアルドオ夫人やその夫と共にパリの客間で「スラヴ人の憂愁」について語っていた時分、十歳年下のトルストイはセバストウポリの要塞で戦争の恐ろしい光景を死屍の悪臭とともに目撃していた。パリでトルストイに一生忘られない戦慄を与えたのは娼婦のあでやかな流眄ではなくて、ギロチンにかけられた死刑囚の頭と胴とが別々に箱の中にころがり落ちる時の重い響きであった。トルストイは作家仲間と酒をのみ、ジプシーの歌をききながらも、ツルゲーネフがそれを疑わず、それによって苦しみもせず平然としているばかりか、或る点では尊崇さえしている資本主義ヨーロッパ文明そのものに、猛烈な懐疑をひき起された。その文明にある酷薄な偽善を観破し、終生つきまとった苦悩に足をふみ入れている。
女というものをも、トルストイはツルゲーネフの考えていたように、純情、献身、堅忍と勇気とに恵まれたもの、その気まぐれ、薄情、多情さえ男にとって美しい激情的な存在という風に理想化して理解してはいない。もっと動物的に、或は愚劣に、或は恐ろしく、美醜をかねそなえた具体的な人間の女性として把握している。
水っぽいサロン的常識の埒を越えないツルゲーネフのそういう考え方にトルストイが癇癪を爆発させたであろう様子を想像すると、思わず破顔さえ覚えるのである。トルストイは、食いあき飲みあき懶怠にあきた上流社会の美しく装った男女が、馬車の中で、花園でする恋愛に一つの社会的腐敗の悪臭をかぎ出している。持参
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