金つきの商略的結婚制度に、外見上の一夫一婦制に、大きな虚偽を見出している。
 これらの、本質においては極めて健康なそして尊敬すべきそれらの懐疑を発展させて、解決させるに当って、トルストイは自身の大地主、大貴族的生活からの考えかたや感情に制約され、すべてを人類の霊魂の高まりによって解決しようとした。そして宗教へささり込んだ。トルストイは、自身の全存在をかけて雄渾に且つ悲劇的に自身の懐疑ととりくみ、そのことに彼流の矜恃をも感じているのである。ツルゲーネフが、自身の生活はなまあたたかく動揺のないところに引こめておいて、傍観的な人生に突っこみの足りない態度で小説を書いて行くその生きかたが、トルストイには全く気にくわなかったのであろう。
 ガルシンはこの二人の喧嘩についてこう書いた。「ツルゲーネフの言によると、トルストイがツルゲーネフのことで一番癪にさわっていたのは、極めて冷静に文学的著作に従事しているその態度であった。」そして、「ツルゲーネフが善事に向って進むという、その善良なるものを絶対に信じなかったのだ」と。ツルゲーネフがガルシンに云った冷静という言葉の内容、トルストイが信じなかった善事というものの内容は、トルストイの側から見れば、大体以上のような性質のものとして映っていたのであったろうと推察されるのである。
 後年チェホフが、たしかクニッペルにあてた手紙か何かの中で、ツルゲーネフは俗人であるという意味のことを云っているのを思い出す。
「その前夜」や「処女地」のような作品の主題と、作者としての生活的実践との間にある深刻で鋭い社会的なギャップを、ツルゲーネフが或る種の通俗的な作家たちのするように苦悶なく滑って行っているところを見ると、チェホフの短い評言は、ツルゲーネフにとって痛い一本のモリであろう。有名なドン・キホーテとハムレットとの考察も、彼はそれを自身の現実に組みついて来る熾烈な積極的な要素の上に立つ懐疑として行ってはいないのである。

 トルストイが、社会の矛盾の根源を人間の本能に帰して、当時のロシアの解放運動とそこに生き死んだ卓抜な男女の生活に冷淡であり、ツルゲーネフが、却って彼の受動性、感受性によってそれらの新しい社会的現象に注意を喚びさまされながら、しかもその受動性によってヴィアルドオ夫人とパリとの生活から離れられず、真実にロシアの新しい人間の価値を知ることが
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