終ったが、それらの社会的実践の間にバルザックは嶮しく現実の社会で対立する利害と渡り合い、あのようなリアリストとして、自身自覚しなかった役割を歴史の上で果した。
ツルゲーネフは、自分の社会生活においての消極的な面、従って作家としても非現実的に陥り易い面を一番傷けず、苦しめずにおく温床のようなヴィアルドオ夫人との交渉の裡にすっかりうずまって、自分の文学的才能にだけたよって暮した。彼はパリへまで吹きつけて来るロシアの若い時代の嵐を、自身は温室の硝子の内から観察したのであった。
ツルゲーネフが、女を非常に同情的な態度で描いたことは、彼の作品の顕著な一つの特色であろう。私達はヴィアルドオ夫人がツルゲーネフに与えた深い影響をそこにも感じるのであるが、果して同時代の急進的な若い婦人達は、どんな感想をもって、ツルゲーネフによって描かれたエレーナやマリアンナを読み合ったであろうか。
七〇年代、八〇年代といえばロシアは「人民の中へ」の運動から「人民の意志」党などの活動へ移った時であり、有名なヴェラ・フィグネルなどを先頭に夥しい数で社会の各層の若い婦人が解放運動に身をもって投じた時代である。世界的な権威ある数学者で、魅力のある文章をも書いたソーニャ・コバレフスカヤが、まだ若い娘で勉強のため教授コバレフスキーと旅券結婚をしてスウィスへ行ったのもこの時分のことである。これらの、ロシア的情熱に燃え、つよい意志をもった新時代のチャンピオンたちは、本当にどんな感想で、あまり単純でロマンティックなエレーナを、或は何か非現実的で丸彫りでないマリアンナを、自分たちの激しい前進的な生活とひきくらべつつ読んだであろうか。
ツルゲーネフの諸作品が、所謂「美文学」としてハンディキャップをつけてよまれ、一方チェルヌイシェフスキイの「何を為すべきか」が行動の指針として有能な若い男女の間で読まれたということも、おのずから今日肯けるのである。
ツルゲーネフとトルストイとの衝突は既に文学史的な出来ごとである。二人の大作家が十五年間も意志の疏通を欠いたばかりか、或る時は本気で決闘までしかねまじい程激昂したには種々の原因があったに違いない。が、対立の原因となる多くの見解の相違中のただ一つ、恋愛や婦人に対する二人の考えかたの違いだけを見ても、私は十分ツルゲーネフとトルストイは和睦のない対立に置かれたであろうと考える
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