隊列に参加し、その正当な運用と活動を監督鼓舞しなければならない。
みんな、いろんな恰好で、シーンと聞いてる。
モスクワは暑く、かわいてる。市の鉄道切符売場の前の歩道では毎日朝から、有給休暇で「休みの家」へ旅立つ勤労者たちが切符を受とろうとして列をつくっている。
まけず劣らずの列がパン配給店や、消費組合売店の角にある。暑いためもあって、そういう列の中で、男も女も怒りっぽかった。ひどく互同志で列の順をやかましく云った。
胡瓜車だけが目立った。
「鋤」の中でもいつかしらみんなが食糧の問題を盛に喋くるようになった。
口数の少いオーリャまでが云った。
「『金属』の休みの家では、でも、まだまだよく食べさせるってさ。野菜でも肉でもフンダンだってさ」
ヤーシャが読んじまっても、みんな暫く黙ってる。
頻りと爪をかんでたノーソフが不意に、
「ね、おい!」
例のヤブ睨みになりかけたような眼つきで云った。
「……区の消費組合監督委員たちは一体何してるんだネ」
「……知らないよ。知るのは容易なこっちゃないよ」
アーニャがプンと答えた。
「――大方、マカロニと石鹸とくっつけて置いちゃ、匂いがついて食えませんよって監督してるんだろ」
信吉はヤーシャから新聞をうけとり、膝の上へひろげてウンサ、ウンサ一行二行と綴字を辿って、読まれた論文のよみ直しをやってる。
区の「コムソモールの家」に文盲撲滅の講習会が開かれている。信吉は一晩おきに欠かさず通い、どうやら読めるようになったところだ。
新しい世界が信吉の前へ一層深くひらきかけてる。
オーリャの声だ。
「われわれんところじゃ、随分『機能清掃』がやられてるけれど、まだ消費組合の内じゃ、バタの大きい塊りが頭の黒い鼠にひかれたりするんだ」
信吉は、昨日アグーシャから聞いた話を思い出して云った。
「――『赤いローザ』じゃ工場ん中の女代議員が、消費組合監督の突撃隊をこしらえたそうだぜ」
「……あすこはドダイ女が多いんだ」
「ちょっと!」
オーリャが、のり出して強い美しい目で皆をグルリと見た。
「そういう問題に男と女の区別がある? まして、直接大衆の食糧問題と結びついてるとき、男と女の区別がある?」
「異議なァし! タワーリシチ!」
ヤーシャが半分冗談みたいに、陽気に叫んだ。
「これは、階級的な問題だ。オカミさんだけの問題じゃない。ソヴェト経済の社会化に結びついたプロレタリアート大衆の問題だ――」
が、そこまで云うと急にヤーシャはピタリと口を噤《つぐ》み、顔つきをかえた。真面目な声になって相談するように云った。
「だが――何故『鋤』工場でも、食糧配給監督の突撃隊をこしらえちゃいけないんだ?」
「ヤーシャ! いいこと思いついた! ほんとに、何故われわれんとこで、食糧配給監督をやることに思いつかなかったんだろう!」
キラキラ輝く顔になって、オーリャが手を叩いた。
「ヤーシャ! いいわ。ステキだよ、やろう! え? やろう! どう? みんな?」
「ふむ」
ノーソフが、ゆっくり頭を掻きながら満足げに呻った。
「こりゃ、プロレタリアートの自発性だ」
「そうだとも! われわれは積極的にやらなくっちゃ。直ぐみんなにこのこと話そう!」
「待ちな」
ヤーシャが、半袖シャツからつき出ているガン丈な腕を曲げて金網をかぶせた時計を見た。
「これからじゃ間に合わない。帰りにしよう。所持品棚のところへはどうせみんな来るんだ」
「そいでさ、交代の連中だって一緒に聞くもん、なおいいや」
勢づいたアーニャが信吉の髪の毛をひっぱった。
「こんなに真黒な毛生やしてても、為になることも覚えてるんだね」
「俺ら直ぐアジプロ部へ行って来る」
ヤーシャは、はじめ歩いていたが見ているうちにだんだん大股になり、とうとう駆け出した。駆けて作業場の建物の角を事務所の方へ曲った。
三
コムソモーレツ、ヤーシャが大きな紙に赤インキで書いたビラを両手でもってやって来た。仕事場の横の、生産予定表だの、小さい壁新聞だのの張ってある壁にそいつを貼ろうとしてのび上った。
一人じゃうまく行かない。
それと見て、オーリャが手鑢にかけてた締金を放り出し、可愛く紐の結び目のおったった紺の上被りの端で手を拭いて、貼るのを手伝ってやった。
モーターは唸ってる。
真夏の午過の炎暑の中へ更に熱っぽい鉄の匂いがある。
ツウィーッ!
ツウィーッ!
ビラにはこう書いてある。
仕事がスンだら所持品棚のところへ集れ!
三十分を惜しむな!
食糧問題の自主的、階級的解決は俺達の任務だ!
ボルシェビキ的積極性で、ヤッテ来イ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
[#地より4字上げ]職場アジプロ委員
全体赤い字のところへ、「食糧問題」とだけ黒だ。パッと目をひくように、うまく書かれている。
「何だい?」
「何ヲ考え出したんだネ、暑いのにヨウ」
わざわざ仕事台から離れてビラを壁のところまで読みに行く者もある。
読んじまっても、みんな、すぐには行っちまわない。党員で、職長のペトロフまでゆっくり奥から出て来て、ビラの前へ立った。
「こりゃ、いい思いつきだ」
もう一遍よみかえして見て、
「――ほかの職場連中知ってるのかネ?」
アーニャがゴシゴシ手鑢をつかいながら、暑気を震わすような甲高い自信のある声で返事してる。
「グーロフがかけずりまわってるヨ」
確にビラは金的を射た。みんなの注意をひきつけた。
丸まっちい鼻の頭から下瞼の辺にかけて粒々汗をかきながら赤いムッツリした顔して信吉は働いてる。が、ビラによって起った職場のみんなの心持の反応は、信吉に一つ一つハッキリ感じられる。
実のところ、信吉は人に知れない初めて経験する一種の亢奮につかまれているのだ。
ソヴェト消費組合の活動に向って大衆を招集し、監督鼓舞すべき任務を示した論文が「プラウダ」に出た。それを昼休みにヤーシャがみんなに読んできかせたからではあるが、「赤いローザ」に消費組合監督の突撃隊が出来たことを話したのは信吉だ。
それが直接のキッカケで、ヤーシャがアジプロ部へかけ出し、このビラとなった。だからビラはひと[#「ひと」に傍点]が書いたものだという気がしない。
信吉にとって、第一これは、タッタ一度だって味ったことのない気持だ。ビラから、これから持たれようとする集会から、ひとのものではない気がするんだ。
職場の連中は、どんな塩梅式にもって行くだろう?
気が揃ってるとばかりは云えない。例えばグルズスキーみたよに、年じゅうブツクサ愚痴ってる家持ち[#「家持ち」に傍点]もいる。そうかと思えばアクリーナみたいに、色っぽい体ばかりくねらせて、五ヵ年計画なんぞ、ビーイだと云った風の女もいる。――
ツウィーッ!
ツウィーッ!
ひょいと気がついて見ると、足許にもういい加減オーリャへまわす分の締金がたまってる。
信吉は、モーターを切り、首をねじむけてオーリャを呼ぼうとした。が、オーリャはオーリャで、また頻りに何か考えながら働いてる様子だ。
オカッパの髪を包んだ赤い布の片方の端を上被りの肩へ垂らし、鑢へ調子つけてかかりながら、心持眉をよせるようにして軽く唇を噛んでる。何か考えるときオーリャの癖だ。
ドッコイショ。信吉は自分で二十本ばかりの鉄片を抱えこみ、オーリャの仕事台まで運んで、ガシャンと幾分ひどい音を立ててコンクリの上へおいた。
オーリャが顔をもちあげた。信吉を見てニッコリした。頬っぺたから髪を払おうとするように頭を一振りし、
「よめた? あのビラ――」
やっぱり、同じこと考えてたのか!
信吉は嬉しくなって、熱心に、
「読んだとも!」
と答えた。
「よく書けてる」
「――集会へ出るだろ?」
「出る」
「じゃいいワ。――終り!」
失敬するようにサッと片手を信吉に向って振り、オーリャはまた仕事にかかる。信吉も自分の台へ戻った。
四
「おーい、誰か鉛筆もってないか?」
幾重もの人垣の中に脚のガタついたテーブルが軋んでる。労働通信員グーロフが襟あきシャツのポケットじゅうを探りながら怒鳴ってる。
「おい、鉛筆……」
「ホラよ」
テーブルの前へ突立っていたヤーシャが、金網をかぶせた腕時計を覗いた。ちょっと爪立つような恰好でテーブルへ手をかけ、
「タワーリシチ!」
喋りはじめた。
「シッ!」
「シッ!」
「――静かにしねかってば!」
バッタン! 誰かが後で脚立《きゃたつ》をひっくりかえした。
入口からは、肩へ長い手拭いをひっかけ、その端で頸ねっこを拭きながら、まだ濡れた髪の束を額の前へたらしたのが、ゆっくり靴をひきずってやって来る。
ヤーシャは、はじめ遠くそっちの方を、だんだん、人垣の真中ごろへ目をつけながら喋り出した。
「タワーリシチ! 昨今われわれソヴェト同盟で、一般的な食糧困難が起っている。モスクワでさえ、もう何ヵ月も肉類、野菜が足りない。現に鍛冶部では牛乳配給にさえ差支えた程だ。こりゃ、一体何故だ?」
涼しい窓枠のところへ背中をこごめて数人が腰かけてる。中から、
「そいつが知りてえところだ!」
「シーッ!」
「今日の『プラウダ』をみんな読んだか?」
次第に確信に充ちた親しみ深い調子でヤーシャが続けた。
「いい論文が党中央委員書記によって書かれている。――ハッキリ、食糧困難の原因が示されてる。われわれは、社会主義建設に従うプロレタリアートとしてこのことを理解しなけりゃならねえ。現在ソヴェト同盟にある食糧困難は……食糧困難は、偶然の現象……つまり雨が降りすぎて、どっかの畑でキャベジが腐ったというようなもんじゃない。五ヵ年計画によって階級闘争が激化された。その結果だ。問題の本質は、ジャガ薯《いも》には無え。富農とその手先の計画的奸策にあるんだ」
蹲んで所持品棚の樺の戸へよっかかっているのが、下を向いて煙草を巻きはじめた。
瞬間、同じようにきき飽きた、熱している喋りてとハグれた気分がスーッとみんなの間に流れるのが、信吉に感じられた。
ヤーシャは、それに拘泥せず巧に「プラウダ」の文句を引用しながらみんなに、富農が作物を出し渋ってること、運輸状態が円滑に行われていないこと等を説明した。
「タワーリシチ、兄弟! われわれは一九二八年の官僚主義撲滅のとき、どんな光輝ある活動をしたか! 覚えてるか? みんな! チョビ髯の工場委員会書記が、どんなザマしてオッ払われたか、覚えてるか?」
笑いが、あっちこっちに起った。みんなは、そのときのことを思い出したんだ。
「ソヴェトのプロレタリアートが、階級的自発性で動き出すときが、今またわれわれの前に来ている。空の籠下げて、無気力な婆さんみたいに列に立ってばかりいるときじゃない。闘わなくちゃならねえ! 大衆的に、ボリシェビキ的に置かれてる情勢を批判しなけりゃならないときなんだ!」
「そうだ!」
「その通り!」
「タワーリシチ!」
肩で人垣をわけながら、大きな髭をもった男がテーブルのわきへ出て来た。
「俺は、第二交代だ。ひと言云わしてくれ」
手の甲で口の端を一ふきし、変に顔を外方へ向けるような反抗的な姿勢で云い出した。
「兄弟! 俺はこういう疑問をもってるんだ。長いこともってるんだ。われわれ生産に従事する労働者に食糧が足りねえとき、何故国家保安部の消費組合だけはフンダンに物をもってるのか?
何故外国人だけ、特別の切符でしこたまものを食うことが許されてるのか?――俺はこれに答えて貰いてんだ!」
労働通信員グーロフは、額のとこへ太い青筋を浮き上らし、盛に左の手の爪をかみながらテーブルへ腹を押しつけ紙切に何か書きつけてる。
アクリーナが、窓枠へ腰かけ両手をつっぱったまま叫んだ。
「私は労働婦人として云うんだけれど、全くこの頃の消費組合ったらなっちゃいやしない! きのう塩漬キャベジを百グラム買うのに、何分列に立たせられたと思う? レーニンは女を台所から解放しろと云った。レーニンが死んで何
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