いい労働者になった……」
電車通りへ向ってごろた石を敷きつめた早朝の通りは、働きに出る男女の洪水だ。こっちからむこうへ行く者ばっかりだ。
人波の中から、
「カアーチャ……」
いかにも調子よくひっぱった若い女の呼び声が起って両側の建物に反響した。ヒラリと三階の一つの窓から若い女が上半身のぞけた。
「今すぐゥ!」
そして、消えた。
「可愛い小母ちゃん
早くしてくれ
お粥がこぼれるよゥ」
まだ暑くない朝日を受けて陽気に揶揄《からか》って笑う男たちの声が絶間ない跫音の間にする。
信吉は群集に混って同じ方向に歩いている瘠せたエレーナに訊いた。
「……お前どこまで行くんだい」
「今は店へ行って、それから赤坊を托児所へつれてくんだよ」
「ふーむ。……この頃は預けてるのか?」
「――ここらの人みんな頼んでるもの……私|先《せん》、おっかなかったんだよ、――だって、政府に世話して貰うなんて……」
この女がこんな微笑みを洩すこともあるかと思う清らかな微笑みをエレーナは唇に浮べた。そして云った。
「――ねえ……何故人間って知らないことは何でも、いいことでもおっかながるもんなんだろう……」
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