〔十七字伏字〕、〔四字伏字〕だよ、今は。
「まあ、いいや。……それで、赤色職業組合なんかあるか?……メーデーにデモンストレーションやるんか?」
「ああ。トラックで一杯〔六字伏字〕」
 ドッと愉快そうにみんなが互に顔を見合わせながら笑った。鞣の前垂れかけたのが、信吉の肩をたたきながら、
「ナーニいいさ? 今に見てろ。〔十六字伏字〕」
 ギューッと曲げて力瘤の出た二の腕を、ドスンドスンと叩いて見せた。
「わかるだろ? そして、〔十三字伏字〕。そのとき、こっちじゃ五ヵ年計画を三つも四つもやっといて、飛行機で〔十二字伏字〕!」
 菜っ葉服にオガッ屑をつけ、鳥打帽をかぶった鼻の赤い木工らしいのが、
「おめ、おめえんとこに、飛、飛行機あるかね?」
と吃りながらきいた。
「勿論あるさ!」
 信吉は力をいれて答えた。
 コムソモーレツらしいのが口を入れた。
「日本の〔四字伏字〕工業技術は進んでるんだ。水力電気も発達してるんだぜ」
 暫く、みんな黙ってたが、木工が、
「おおお前の方じゃ、ど、どうだね、大体食糧なんざ、た、たんとあるかね?」
 忽ちすべての目が信吉に向ってシーンと引きしまった。飾りのないとこ、これは今のみんなが注意ぶかくきかずにゃいられないことなんだ。信吉にはソヴェト労働者のその心持も、事情も親身に察しられる。信吉自身だって、アルハラの山奥から、いいことずくめを想像してモスクワへ来たときにゃ食糧難で実はびっくりしたんだ。
「日本に食糧はうんとあるんだ。だが、どうにも銭がねえ。……わかるか、俺のいうこと」
 信吉はグルリとみんなを見まわし、
「――これが、ねえんだ」
 指で円く形をして見せた。
「……失業が多いのかい?」
「ひでえ。ソヴェトじゃ、食糧の切符でも、とにかく労働者が第一列だ。〔四字伏字〕、〔六字伏字〕。……わかるか? 俺の云うこと」
「わかる!」
 誰かが言下に答えた。
「わかるよ」
 わきへよってそれ等の問答をききながら鞣前垂が紙巻き煙草をこさえていたが、真面目などっか心配そうな眉つきになって信吉にきいた。
「お前、ソヴェトが今どういう時だか知ってるか?……五ヵ年計画って何だか知ってるか?」
「知ってる……よくは知らないが、知ってる」
「ふむ、そりゃいい。今何より大事なことなんだ、われわれんところじゃな。いいこともわるいこともみんなそっから来てる」
 ……こいつ、党員かしら。――信吉は鞣前垂にきいた。
「お前、党員かい?」
「そうじゃない」
 手巻きタバコをくわえ、それにマッチをつけながら、
「党員の方がよかったか? ハッハッハ」
 いかにも、こだわりない声で笑った。みんな笑った。
「党員だけがいい労働者にゃ限らねえ」
 すると、わきの若い一人が、親指でその鞣前垂の広い胸をつっつきながら、
「これは、一九一七年の英雄だよ。この工場が『白』に占領されそうんなったとき、こいつは涙ポタポタこぼしながら樽のかげからつづけざまに『白』の〔十字伏字〕」
 鞣前垂のゆったりした全身にはどっか際だって心持のいいとこがあった。
 ジッと、潮やけみたいにやけた鼻柱と碧っぽい落付いた眼を見あげながら、信吉は、
「お前、何てんだ?」
と、きいた。
「俺?――ドミトロフだ。……わかったか? ドーミートーローフ。鍛冶部だ。二十年働いてる。お前が知り合いになった男が、『飛び野郎』じゃねえことだけは確かだよ」
 五ヵ年計画で、あっちこっちへ工場が建ち、特に熟練工はソヴェト同盟じゃどこでもひっぱり足りない。
 そこで、一部の労働者が、一つの地方から一つの地方へ、三ルーブリでも賃銀の高い方へ「飛んで」行く。職業組合はそのために予定が狂って、ひどく迷惑してるんだ。

        三

 鉄片の先のトンがった方を電気|鑢《やすり》へかまして、モーターを入れると、ツイーッ!
 忽ち深い螺旋がついちまう。
 ホラ来た。もう片方! ツイーッ!
 軽い、規則正しいツイーッ! ツイーッ! という響と鉄が強いマサツで放つ熱っぽい活溌な匂いとがいくつも並んだ台を囲んで仕事場じゅうに満ちてる。
 信吉は、コンクリの床から鉄片をとりあげちゃ鑢にかけ、調子よくやっていた。
「鋤」で働くようになってっから、信吉は満足だ。
 ソヴェトの労働者といったって、道ばたで煉瓦砕きをやってる連中とここの連中とじゃ、違う。先は、顔ぶれが日によって変ったし、第一みんな臨時にこんな仕事やってるんだという腹があったから、仲間同志も、仕事っぷりもどっか冷淡だった。従ってモスクワの張り切った生活をも道ばたから眺めてるような工合だった。
「鋤」じゃ全く違う。
 信吉が日に二百本余の締金を電気鑢でこさえることは、八百人からの労働者のいる「鋤」農具製作工場全体の仕事と抜きさしならず結びついてる。余分な人間
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