走る。信吉は棚の上で日に一度はきっとこの紙を出しかけた。所在なかったり、寂しくなったりすると読む。
手紙だ。甥の卯太郎がよこした手紙だ。
「信《しん》あんちゃ。おかわりありませんか。うちではみんな丈夫ですから安心して下さい。けんど、村は不景気だヨ。山上ん田でも、佐田んげ[#「んげ」に傍点]でも小作争ギおこった。源さや忠さや、碌さは警察さあげられて、まだ帰ってきねえ。村で新聞とっているのは田村さんげと(これは東吉の村で村長をやってる男だ)忠さげだけんなったど、忠さんは警察さあげられたから、新聞ことわるようにすっぺと婆さまが云っていた。碌さの家へ電気会社の人が来て線を切って行ったから夜はローソクをつけています。
新井の伯母が裏の川さはまって死んだよ。ゴム工場があんまり熱くて目がくさって、うっかと川さ落ちて死んだそうです。東京新聞さそのことが出ていたそうです。おっちゃんが今朝土間で新井の伯母が川さはまって死んだそうだ。せえってたら玉子集めの六婆さがへって来て、んでも東京新聞さ出たちゅうでねえけ。東京新聞さ書かれたら伯母も成仏すっぺと云ったら、おっちゃんがおっかない顔してコケ! かえられるこつか! と怒りました。
あんちゃとこの爺さま、きのう着物着てげんめん運動でみんなと町さ行ったよ。おら、地蔵でいきあったら婆さまもいっしょに歩いていた。信あんちゃさ手紙書くだ。せえったら、ばさまが気いつけてニンニクかめと云ってくれと云いました。
信あんちゃ、エハガキもっとおくれよ。おらも行ってみてえな」
へん! 生意気云ってらあ。真黒な裸足《はだし》で末っ子の糸坊を脊負わされて学校へ通っている卯太郎の顔が、ありあり目の前に見えて信吉は苦笑いした。町で、自転車屋に働いてた時分、信吉はよくこっそり卯太郎を自転車の後へのっけて村を一まわりしてやった。それで親類じゅうの誰よりなついて手紙までよこしたんだ。――どうかいいとこみてえに思ってやがる。……
何一ついいことは知らしてない手紙でも故郷からだんだん遠くへ遠くへと行く信吉にとっては、懐しいたよりだ。信吉は鼻をほじくりながら、長いこと膝の上の雑記帳から引ぱいだ紙を眺めていた。
二
地図で見ると、日本は実に小さい国だ。小学校でつかう千八百万分の一地図で、樺太《からふと》の端から台湾までたった六寸五分だ。幅はと云えば一
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