寒帽をかぶったまんまでつめかけてるロシア人に混って手を叩いていたら、
「――どうだい」
声かけた者がある。朝、二十七度だぞウと怒鳴った若い男だった。
四
これがきっかけで信吉は松太と、だんだん親しく話をするようになった。
ちょうど、二十七度休み[#「二十七度休み」に傍点]があった十日ばかり後の宵のくちだ。ロシア労働者たちが、星空の下に白く凍った雪を絶えず、キ、キ、と鳴らしながら林の間を三号バラックの方へ集ってゆく姿が見えた。
この間の茶番以来、信吉はロシアバラックの生活ぶりに好奇心を抱いている。いい加減集りきった頃をはかって、自分も行って覗きこんだ。
へえ。……今日はまた、やに真面目なんだね。演説だ。バラックの奥ではランプの明りで赤い髪を火のように光らせながら、一人の若い男が立って喋ってる。ときどきつっかえる。そうかと思うとタワーリシチー! レーニン何とかかんとか※[#感嘆符二つ、1−8−75] 大きな声で叫んで拳固を上から下へ振りまわす。
その男がすむと、眼っかちの、無精髭をはやした小男だ。唾をとばしながら何か云っちゃあ、裾のひきずるほどだぶだぶな自分の山羊皮外套を、片手にひっ掴んだ防寒帽でもってバサッ、バサッとしばく。
信吉は、丸まっちい鼻をおかしそうにひくつかせて、のり出した。こいつ! 見覚があるぞ。山で馬を追うときまるだしの恰好で喋ってやがる――。
だが、みんな何をいきまいて演説してるんだろう?
袖を通さず羽織った外套の襟を押えてちょっと前へ出ようとしたときだ。誰かが後から肩を押えた。ロシア人だろうと思って振向くと、ハゲ小林だ。
「来い」
信吉には訳がわからない。
「出ろ。聞えねえのか」
体をよじってロシア人の間をバラックの外へ出ると、
「何していた」
歩きながら、ハゲ小林が低いドス声で訊問した。
「何って……見てただけだ」
「うろつくんじゃねえ。変な真似して見ろ、敦賀へ上るなり引っくくらせるぞ!」
ハゲ小林が事務所の方へ行ってしまうと、信吉はチェッ! 雪の上へ唾をした。演説を見物したからって一々引っくくられて堪るけ!
翌日、昼休みの後で、松太が、
「昨夜《よんべ》、どした」
信吉の働いてるわきへよって来た。
「……いたのか? お前も」
「…………」
「何の演説だったんだろ」
「レーニンの死んだ日よ、昨日は」
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