しみ嘆く。「|若い観衆《トユーズ》の劇場」教育部がそこでいおうとしている迷信の力と科学の力との対照は、うまい演劇的表現で、大人をもひきつける面白さである。
――これは、割合成功したと我々も思っています。だが、往々大人は子供の心持をかんちがえするのでね。いつも研究が必要です。
幕あいが十五分ある。日本女は、お爺さん教育部長のうしろについて、廊下へ出た。子供。子供。子供の国だ。
――今日は! セミョン・ニコラエヴィッチ!
赤い襟飾をつけたピオニェール少年が挨拶する。
――セミョン・ニコラエヴィッチ! こないだの絵もって来ました。
そういうのは、そばかすのある女の子だ。
――そうか。じゃこっちへ来なさい。
――僕も一緒に行っていいですか? セミョン・ニコラエヴィッチ。
セミョン・ニコラエヴィッチと小さい日本女は、いろんな鼻つきをした子供の群にかこまれて、子供だらけの廊下を行った。賑やかな廊下を歩くのは、むつかしかった。廊下の左右には、ズラリと絵がかかっている。それに子供がたかって見ている。
――あれはどういう絵です?
――ここで、芝居を見た子供たちが、その印象を描いたものです。
日本女のわきにくっついて歩いていた女の子が、仲間に、
――サーシャの描いたのもあるよ。
ふりかえっていっている。
狭い戸をあけて、セミョン・ニコラエヴィッチは廊下の横の小部屋へ日本女と一かたまりの子供たちとを入れた。
ここのも壁絵だ。廊下にかけてあるのよりは小さい児の絵である。色鉛筆で、目玉ばかりみたいな人間の顔や、四本足のフラフラしたあやつりの馬にのっかった子供の姿などがある。
――さあ、子供等これをお客さんに見せてあげなさい。
太い巻物を、一人のピオニェールに、セミョン・ニコラエヴィッチがわたした。
――なに? なに? 見せて!
――どけよ。そんなに顔だしちゃ邪魔んなるよ。
それは、「|若い観衆《トユーズ》の劇場」教育部員が苦心して製作した、児童の心理統計とでもいうものだった。
――仮に、この「インドの子供」をはじめて公演したとしますね。
セミョン・ニコラエヴィッチが説明した。
――我々は十分注意してヤマ[#「ヤマ」に傍点]のおきどころ、心持の変化――恐怖、よろこび、好奇心、滑稽などを、教育的な筋の上へ按配するのです。しかし、実際に当って見なけれ
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