ているのだ。
 ――何からお話したらいいかしらん、……きりょうのいい婦人党員は二人の日本女を見くらべながら笑った。
 ――革命前と革命後の女の生活の変化といったら、全くそれを経験しないものには理解するのさえ困難なくらいです。どこが変ったと訊かれれば、何もかにも変ったと答えるしかないんです。我々のところで、旧いブルジョアの社会組織は、ばらばらにこわれて誰の役にも立たないものになってしまった。新しい生産関係の上に社会主義社会が新らしく組み立てなおされた。一九一七年から二一年までСССРの人間は随分辛いところを切りぬけて来たんです。御承知の通り、イギリスやチェックは白軍と連合してどんどん侵入して来るし……。
  第一「十月」革命当時、ブルジョア・インテリゲンチアの社会民主主義者連はボルシェヴィキーに対して何といったと思います? こういってたんです。「パリ・コンミューンは、あれでも二月と二日続いた。が、ボルシェヴィキーの政府は三日もちゃしない。やらせて見るのもよかろう。そして、今わいわいいってる民衆自身が、ボルシェヴィキーには政府を組織する実力なんぞないことを知るのもよかろうさ!」
  社会民主主義者連はボルシェヴィキーを自分たちと同じに考えていたんです。
  われわれのところにはレーニンがいた――
 しばらく黙った。それから婦人党員は訊いた。
 ――日本でレーニンはどのくらい知られています?
 ――どの位って……知らない者より知ってる者の数が多い、そして知ってる者はおのおのの立場でそうあらねばならないように知っている――つまり、或るものは知って、愛している。或るものは恐怖して憎んでいるでしょう。
 日本女は、笑ってつけ加えた。
 ――そしてリベラリストは、いつもこういってるんです。レーニンは少くとも偉大な革命の指導者だった。しかし、日本にはまだレーニンがいないからね。
 婦人党員は愉快そうに、よく揃った歯なみを見せて笑った。
 ――ボルシェヴィキーが十月革命のとき、全国の積極的な革命的プロレタリアートによってどんなに支持されていたか、どんなにボルシェヴィキーはプロレタリアート自身の党であるか、ブルジョア社会民主主義者は理解しなかったんです、ロシアのプロレタリアートは「十月」までに「一九〇五年」を経験しているんですからね、男も女も自分の血のねうちは知っている。
 ――大事な
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