方からおちて来た。
 ――タワーリシチ! 何にもさわるな! 取るな! みんな民衆の財産だ!
 広間から広間へ進むにつれ叫びはあっちこっちから絶えず聞えた。
 ――革命の規律! 革命の規律を守れ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
 ――タワーリシチ! 俺たちプロレタリアート・ボルシェヴィキーが盗人でも乞食でもないことを見せてやれ!
 赤布を平服の腕へ巻つけた労働者赤衛兵はピストルを片手に、冬宮を引揚げる時全同志の身体検査をした。ポケットに入れられたものはどんな小さいものもとり上げそれを記入した。(中にはマッチの箱、ローソクの燃えかけという記念品[#「記念品」に傍点]もあった。)そべてそれらは、プロレタリア革命の名誉のためになされたのである。
 赤衛兵は、日にやけた屈托のない若い顔で、広場を眺め立っている。冬宮は今博物館となっている。
 日本女はゆっくりその広場を横切り、十月二十五日通りへ出た。家並の揃った、展望のきく間色の明るい街を、電車は額に照明鏡を立てたドクトルみたいなかっこうで走っている。
 年経た、幹の太い楡の木がある。その濃い枝の下に、新聞雑誌の売店《キオスク》、赤い果物汁飲料《クワス》のガラス瓶。
 古いくり形飾を窓枠につけたロシア風な小家。それを曲って、わきの空地に馬糞がある。蠅がとんでいる。――町はずれである。
 二人の日本女は、右手に見える白い大|拱門《アーチ》を入って行った。非常な興味を顔に現わして、正面に見える建物の破風や、手前にある夏草のたけ高く茂った庭へ置いてある緑色ベンチなどを見ながら、通って行った。
 日本女は、一九一七年十月の夜、ここからどんな勢が、旧ペトログラード市中央に向って流れ出したかを知っている。スモーリヌイはもと、華族女学校だった。ケレンスキーがそれを全露労働者兵卒ソヴェト中央執行委員会に貸した。二十五日の夜、徹宵この敷石道の上をオートバイが疾走し篝火《かがりび》がたかれ、正面階段の柱の間には装弾した機関銃が赤きコサック兵に守られて砲口を拱門《アーチ》へ向けていた。軍事革命委員会の本部だったのである。
 今スモーリヌイには、レーニングラード・ソヴェト中央委員会、中央執行委員会がある。太い柱列《コラム》のガラス戸はしずかに六月はじめの日光をてりかえし、白い巨大な建物全体が青空から浮き出ている。
 日本女は前後して石段をのぼって行っ
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