『カンジット』はジイドをトロツキイストと呼んでいるということも肯ける。そして、これらのことはジイドがその前書の中で予見していたよりも深甚な反動としての影響を今日の人類の運命と文化の発達の上に明《あきらか》にマイナスなものとして、与えないとは決して云えない。ジイドとして、その結果については思うように思わしめよ、と云うには、余りに錯雑し、重圧のつよい世界の現状の裡に、彼もひとも生きているのである。
だが、『プラウダ』の批評のような表現でジイドが示した影響の政治的性質だけをとりあげられても、従来ジイドの人間的良心というものをそれなりに見て来た一部の人は、具体的な矛盾の本質までは闡明されず、納得しかねるのではあるまいか。
ジイドは、パウロからサウルへ転身しようと意企していたであろうか。もしまた、意図せざる結果として、客観的には人類の進歩性を後へひっぱる権力に利益を与えることになったのならば、それは如何なる意識下の力――作家ジイドが好んで潜入し、格闘するところの無意識の力に作用されてであるのか。それらのあらましが究明されなければなるまいと思うのである。
アンドレ・ジイドはゴーリキイの誕生におくれること一歳、ロマン・ロオランより三つの年下として一八六九年、パリに生れた。両親は富裕な清教徒であった。十一歳で父に死別した後、病弱な神経質体質の少年であるジイドは、凡ての悪行為、悪思考と呼ばれているものに近づくまいとして戦々兢々として暮す三人の女(母をこめて)にとりまかれ、芝居は棧敷でなければ観てはいけません、旅行は一等でなければしてはいけませんという境涯に生長した。
少年の間、彼は全くそういう窒息的な環境に馴らされ、些《いささか》の反撥も苦悩もなく過し、十六歳の年まで読書さえ母の監視つきであった。性的にも内気で無垢であり、従妹のエマニュエル只一人が愛情の対象であった。「一切金銭の心配からはなれ」息子の処女出版のために特別費を心がけている母の愛顧の下で、二十歳の彼は処女作「アンドレ・ワルテルの手記」を書いたのであった。
ジイドは、この「アンドレ・ワルテル」の中に、青年のうちに荒れ狂う肉的なものに対する戦いを表現しようとした。青年ジイドは自身の裡に目覚める野獣的な慾望の力と揉み合いつつ、これまで自身が身につけていたと思う教育の威力や倫理や教義の無力を痛感した。彼はその責苦を手記
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング