したのであった。
然しながら、社会の機構が生み出している複雑な利害の分裂、悪徳、悲惨、戦争の惨禍などを、農民の素朴な信仰心で根絶しうるものでもないし、又そのような現実生活を、あるとおりの社会の中で実現し得るものでもない。トルストイが、彼の全精力の卓抜さ、逞しさを傾けて最後に到達した痛ましい無抵抗主義の教義の中には、実に、社会的崩壊の作用に対して何の科学的な客観的な洞察をすることの出来なかった彼の階級の良心と、「数百万の農民の抗議及び彼等の絶望」が反映しているのである。
恋愛に対し、婦人に対して、トルストイの抱いていた宗教的・道徳的見解を今日から見れば或る意味で主観的であり独断的である罪業感であったと云える。貴族の夫人、娘としての周囲の日暮しにも批判をもち、子供を生み、それを辛苦して育てることばかりが、性の放逸と女の下らなさを浄化するという風に考えていたのであった。社会的な規模で婦人の生活は考えられず、ジョルジ・サンドをも嫌悪した。この婦人に対する一見知的で実は感覚的なものの上に立つ思想はトルストイの全芸術を貫く一つの著しい基調となっている。
トルストイアンと称する連中(ゴーリキイの観察によれば、その大部分が鼻もちならぬ連中であった)にとりかこまれ、無抵抗主義の信条で、全財産を放棄したがっているトルストイの希望に、怯え、憎悪し、それとの闘争に立ち向った第一の人は夫人ソフィヤと五男のアンドレイであった。ソフィヤ夫人は、子供等に対する家庭の父親の義務としてトルストイを責め、その考えに反対してアンドレイを先頭に立てた一群の息子たちは、当然息子に分けられるべき財産を、トルストイのとりまき共に横領されまいとする息子の権利[#「息子の権利」に傍点]の上に立って。
この諍《いさか》いは、ソフィヤ夫人が直接トルストイの出版者であったという事情から、益々紛糾した。今や世界のトルストイが晩年に至って書きのこす日記の一冊、一枚のメモ、それは出版経営者としてのソフィヤ夫人が洩すところなく「私の[#「私の」に傍点]出版」に収録しようと欲するところであり、而も、トルストイの親友と称する連中も亦「未発表」の何ものかを獲ようととびめぐっている。トルストイは「この争いに生理的に耐え得なくなって来た」。八十二歳のトルストイは、日頃から家庭にある殆ど唯一の理解者、三女のアレクサンドラに手つだわせて
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング