こと、階級的そうなことを云っても、対手の女を見ると、その男の非公式な部分、書いてない部分[#「書いてない部分」に傍点]が露出している。
 女の場合も同じです。
 芸術や恋愛が、階級性ぬきのどこやら超現実的なもののように感じられているとしたら、とんだ間違いです。
 一人の女が小ブルジョア的な人道主義、偸安主義の生活を何かの必然的動機ですて、プロレタリア解放のために一つの役割をもって生活するようになれば、キット、生活の変化は恋愛と恋愛観の変化を起すにきまっている。
 そうではありませんか?
 例えばK子は、これまで通りK会社へ勤めてはいる。けれど、会社がひければ或る日は研究会へ出席し、或る日曜日は全協[#「全協」に×傍点]の一般使用人組合の仕事を手伝わなければならなくなって来た。
 それだのに、彼O氏は、K子の生活変化の必然性を理解しないばかりか、会えば宵の七時から十二時までぶっつづけにくッついていなければ怒る。日曜日ごとにゴルフとまでは行かないプチブルらしくベビー・ゴルフというものへ、半ズボンはいて行くO氏のお伴をしなければ、不和を生じるという場合、どうしてK子はO氏との恋愛をよろこび、
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