は垣根からはなれてどこと云うあてもなく畑の方に歩き出した。
 畑地の足のうずまる様なムクムクの細道をうつむいて歩きながら青い少し年には骨立った手を揉み合わせては頼りない様に口笛を吹いた。
 畑の斜に下って居る桑の木の下に座って仙二は向うに働いて居る作男のくわの先が時々キラッキラッと黒土の間に光るのや、馬子が街道を行く道かならずよる茶屋めいた処の子達が池に来て水をあびて居るのなんかを見て居た。
 仙二のすきな歌も口には出て来ず、こないだの晩娘がうたって居た細かい節廻しの歌を思い出し思い出し所々間違えながら小声にうたったりした。
 畑地に座って仙二は時の立つのを知らなかった。
 もう午近くなった頃、向うの葡萄園の方からしぼりの着物を着た娘が女中と何か話しながら来るのを見つけた。
 サーッと潮の寄せて来た時に仙二は頭があつくなった。いつもの通り桑の木影に前にもまして体をすくめて耳と目は三人分のを集めたほどさとく働いた。
 娘達は仙二のかくれて居る桑の木から二三間左の細道を歩いてきた。
 まっすぐな光りをうけてうす赤く娘の顔はのぼせて素に着た海の色の着物から頸がぬけた様に白く赤い帯は下の方で二つのみみをたらして結んであった。
 いつもの通り名も分らない髪に結って白い籐のかごの中にしたたりそうな葡萄の房の大きいのをいっぱい入れて腕にひっかけて居た。
 女中と笑うたんびにかなりそろった前歯がひかった。
 仙二は娘の姿がかなり遠くなり高い声がごく極くなめらかに聞える様になってから立ちあがって、見えもしない雪踏のあとをたどる様にして家にかえった。
 大切なものの番をして居る様に仙二はそれっきり他所に出なかった。
 そうしたまんま仙二の目先に、はかないまぼろしの見えるまんまに日が立って行った。
 絶えずチラツク若い心には魅力のあるまぼろしに、一日のうちに泣いたり眼には涙をためながらも微笑まされたりしなければならなかった。
 辛い嬉しさは仙二の感情の全部であった。
 一月ほど日が立つ間には、川で雑魚をすくって居る娘も見たし野原の木の下で小さくて美くしい本によみふけって居るのも見たけれ共、娘が一人で居れば居るほどその傍を通る時は知らず知らずの間に早足にいそいで居るのだった。
 雨のしとしとと降って山々がポーッとして居た日に仙二は何心なく小さいうちから行きなれたたった一人ぼっちで住んで居る
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