て居た。
白い瀬戸を引いたなべの中に青光る小魚が泳いで居た。あみを流れのすぐそばに置いて二人は今すくった少しばかりの小魚をなべの中にあけて居る間にあみは一つフラフラと流れ出した。
二人の気のついた時にはもうかなりはなれた所を浮いて居た。
「アラー」
先に気のついた仙二の娘はとび出した様な声で叫んだ。
掛声をかけられた様に仙二はどてからかけ下りて裾をつまんだまんま水をわたって五六間先に行ったあみをつかまえた。
かたまって見て居た仙二の娘はあみを手にとるとすぐ、
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まあ、ほんとうに有難う。
たった一つっきりあみを持ってないんですもの、なくなったら随分困るとこだった――
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いかにも嬉しそうに顔いっぱい笑いながら礼を云われた時仙二はふるえながら、
いいえ
と云ったまんまどうしていいかわからない様にしてもとの堤に立って居た。
やがてまもなく二人が帰ってしまったあとを堤に座ってさっき娘の云って呉れた言葉とあのはずんだ様な笑声を思い出した。
まあほんとうにありがとう
と云った若い声はも一人の子がだまってただ立って居たのにくらべてよけい仙二にははっきりと覚えられた。
低いふるえを帯びた溜息は幾度も幾度も仙二の唇を流れ出して草の根元に消えて行った。
死んでもいい時が来た様にさえ思えて居た。
その次会った時には、
こないだどうもありがとう
こんな事も云う様になったと云うことがいかにも大きな事か大変な事の様に感じられて、その次にかけて呉れる言葉を想像した。
けれ共その次に行き会った時にはただ極く少しばかりの微笑を口のはたに浮べたばっかりだった。
仙二の心の上には又重いものがのしかかった。
娘の夢の様な微笑に胸をおどらせながら夏の終り頃まで仙二は暮した。
けれ共九月に入ってから一寸も影を見ない様になった。
病気でもしてるかしらん
やせて床にねたきりの可哀そうな様子もその先の悲しい事まで想像して涙さえこぼして居たけれ共、きく人はだれもなかったんで不安心な日をじめじめと暮して居た。
娘に会わなくなってから十日ほどたって仙二は又お婆さんの家へ行った。
心置きなくお婆さんはいろいろの事を話しながら、
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御隠居さんも淋しがってねえ、今も私が行って来たので――
お嬢さんが
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