の研究の仕事は、平和がかえるまで延期であることを知った。彼女がパリに、最後まで踏み止まる決心を固めたのは、生れながら困難に負けることの嫌いな彼女の気質で「逃げるという行為を好まなかった」ばかりではなかった。
 キュリー夫人は冷静に、パリの置かれている当時の事情を観察して、たといパリが包囲され、爆破されても、新しくできたばかりの研究所は自分の力で敵の手から守らなければならないと考えたからであった。研究所にある一グラムのラジウムを、人類と科学とのために侵略者の手から安全にしなければならないと決心したからであった。彼女の心には直覚的にささやくものがあった。「もし私がその場にいたらドイツ軍もあえて研究所を荒そうとはしないだろう。けれどもし私がいなかったらみななくなってしまうに相違ない。」
 八月の終りキュリー夫人は十七になっているイレーヌにあてこう書いた。「あなたのやさしい手紙を受取りました。どんなにあなたを抱きしめたく思ったことでしょう。危く泣き出すばかりでした。どうも成り行きが思わしくありません。私たちには大きな勇気が必要です。悪い天候の後には必ず晴れた日が来るという確信を固く持っていなけ
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