ィングをかぶったもう一人の青年とが、或る日その屋上へ出て来て愉快そうに談笑しながら、小さいカメラを出して互に互の写真をとりあっている。こっちの窓から其光景を遠く眺めやっている私の胸に、抑えがたい欣びがあるのであった。
ピオニェールたちの間にも段々写真が普及しはじめた頃、私はかえって来たのであった。
この間うち新聞社の主催で大々的に行われたカメラ祭というものは、未曾有の催しであった。下岡蓮杖の功績が新しく人々の科学常識の間にとりいれられたのは結構であったし、カメラを愛好する若い人々にとって、ターキーの舞台姿のポーズをとられたのも、鎌倉の波うちぎわで舞う女の躍動をうつせたのも、楽しいことの一つであったにちがいない。
私はヴォルフの写真帖などを一つ二つ知っているだけであるが、カメラの美しさについては無関心ではないのである。軍需工場に働いている青年労働者は、昨今、景気のいい方の組で、かなりの金が手に入る。金はあるが、つかい道に困る。急に金は持ったが、これまでの文化はそういう若者の日常生活にとざされていたので、所謂気の利いたつかい道が見当つかず、女遊びをすると云ってもやはりこれまでの工場の若者が通った私娼窟へ金を流すという風であるそうだ。
カメラが、こういう青年層へ急激にひろがって行きつつある。手近で、集団的な生活に小さい愉しみをもたらす手段ともなるのであるから、地味な気質の勤労青年たちがカメラにひかれるわけも分る。午ごろ、お濠ばたを通りかかると一時間の休み時間を金のかからない外気の中で過そうとするあの辺の諸官庁会社の、主として若い連中が三々五五、芝草の堤にもたれたり、お濠の水を眺めたりしている。なかに、小型写真機を胸の前にもって、松の樹の下に佇んでいる同僚をうつしているつつましい背広姿もよく見かける。外国であったら、その時松の樹を背景として立っているのは、陽気に皓《しろ》い歯並をキラメかせている同僚の女の子であるだろうのに、お濠のまわりの人目の多いところでは、殆どいつも男が男の仲間をとってやっているのも如何にも日本らしい。
特別議会が終ったが、ここで臨時増税が決定した。新たに増税されるものの種目に、写真機及その附属品、原料というのがある。フィルム、原像液、引延機、みんな其々に税がかかるのであろう。写真機の大衆化は、その生産過程の特殊性から或る方面の支持によったので
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