カメラの焦点
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)伯林《ベルリン》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年十月〕
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写真機についての思い出は、大層古いところからはじまる。
私が九つになった年の秋に、イギリスに五年いた父親がかえって来た。横浜へ迎えにゆくというので、その朝は暗いうちに起きて、ラムプの下へ鏡台を出して母は髪を結った。私は当時ハイカラであった白いぴらぴらのついた洋服を着せられて行ったが、船宿へついた時は雨であった。俥で波止場へ向ったが、少し行ったところで俥が逆もどりした。幌がかかっていて何が何だか分らなかったが又船宿の土間におりたら、そこへ別な俥から下りた父が立っていたので、びっくりしたし嬉しく甚だきまりがわるかった。
大人が多勢ガヤガヤしていて傍へもよりつけないので、私は、父が肩へかけて呉れた茶皮のケース入りの写真機を枕にして横浜からの汽車の中で眠ってしまった。それはコダックの手札形であった。
弟が十八九の頃、写真にこった。家族のものや静物をその父の古いコダックでよくとった。自分では写真機を余りもたず、外国を旅行したとき伯林《ベルリン》でこんな笑い話を友達からきいた。ドイツの小学生に先生が質問した。日本人と米国人とはどこがちがいますか? 子供の答えに曰く。年よりで、ズボンに筋がなくて、眼鏡をかけて、写真機をもっているのが日本人です。アメリカやドイツへ行くと、レンズがよいのが魅力で税のかからぬところで誰でも買おうと思うのだろう。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で、私の暮したホテルはパッサージという名で、今ゴーリキイ通となった大通りにあった。冬の凍った三重窓に青く月の光がさして、夜の十二時にクレムリから大時計の音楽の一くさりが響いて来た。窓の前は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊新聞の屋上で、クラブになっていた。着いた年の冬は、硝子張りの屋根が破れたまま鉄骨がむき出しになっていた。雪がそこから降る。春の北国の重い雪解水がそこから滴っている。荒々しい淋しい心のひきむしられる眺めであった。二年後に、その屋根はすっかりガラスが嵌めこまれて新しいものになった。ライラック色のルバシカに金髪を輝やかした青年と、黒い上着を着て白っぽいハンテ
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