うな精力と熱情をもち、戦友に対してこれほどの献身をもつ婦人が、四十年近い間に運動のために尽した業績――このことは何びとも語らず、この事は同時代の新聞にも記録されていない。しかし私は知っている。コンミューン亡命者の婦人達がしばしば彼女を思い出すであろうと同様に、われわれ同志はなお更しばしば彼女の大胆、かつ賢明な忠告を惜しむであろう。」「他人を幸福にすることを自分の何よりの幸福と考えた婦人があったとすれば、彼女こそ正しくその婦人であった。」
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マルクスがイエニーを失った悲しみにうちかって資本論を完成しようとした努力は、寧ろ悲痛な姿であった。カールはフランスに行き、スイスにゆき、今度こそ丈夫になって帰ろうとした。しかし、イエニーのいない地球のあらゆる土地は、彼の体と心とにしっくり合わなくなった。旅行は輾転反側のように見えた。一八八三年三月十四日――イエニーの死後三年目の早春に、人類の炬火のかかげ手カール・マルクスはメートランド・パークの家の書斎の肘掛椅子にかけて、六十五年の豊富極まりない一生を閉じた。[#地付き]〔一九四七年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十
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