、ドイツの反動政策の圧迫にかかわらず、進歩的な自由思想が充ちていた。
こういう特色をもった十九世紀初頭のライン州、トリエルの市にハインリッヒ・マルクスという上告裁判所付弁護士が住んでいた。そこに、一八一八年五月五日、一人の骨組のしっかりした男の子が産れ、カールと名付けられた。
マルクス家はユダヤ系であった。けれどもトリエル市のすぐれた弁護士であったハインリッヒ・マルクス一家の生活はかなりゆとりの有るものであった。父マルクスは十八世紀フランス哲学を深く学び、ディドロー(一七一三―一七八四)や、ヴォルテール(一六九四―一七七八)、悲劇作者ラシーヌの作品などから影響をうけていた。
青年時代のカールは、生活の自然なよろこびを心おきなく楽しみ、人づきあいも広く、勉強ずきだが、学資はいつの間にやらたりなくなっているという風なところがあったらしい。大学生同士の借金で相当困ったこともあったらしい。父マルクスは、こういう時に、息子にむかって適切な忠告や、親切な男親しか出来ない慰めや援助をあたえた。カールは、この父を真心から愛し、尊敬した。父の五十五回目の誕生日のとき、ベルリン大学にいた十九歳のカー
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