ンテリゲンチアの作家によってかかれた戯曲らしく整っていて、同時に農民の描写が観念的なのに対して「憤怒」の女小作人、若い農夫、村の女教員さえ、いかにも生きいき現実的にとらえられているという点である。
 それを外国人である我々の観衆独特の批評でいえば、こうだ。
「前衛」のせりふで解らないところはごく少い。けれども「憤怒」で見物がドッと笑うソヴェト農村ユーモアは悲しや(!)いたって少からず解らない、と。
 実際の闘争において農村ピオニェールの任務は非常に大きい。
「憤怒」では、ソヴェト演劇においてこれまでほとんどつかわれなかった子役の形でピオニェールを出し、ごく自然な明るさで、農村と都会の集団農場中央との連絡として重大な役割を演じさせている。
 これなども劇の現実性を高めている。
 五月二日ソヴェトの勤労者達は全然無代でこれらの芝居を見るのである。(平常は大抵半額で職業組合を通じて切符を買う。)
 特別にこの夜のために脚本が選定されるということはない。平常から各劇場の上演目録は特別の統制機関によって選ばれている。
 いつもその時ソヴェトの全勤労者がおかれている社会的情勢、細かく云えば党と職業
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