れだけの長さの内容をもっと豊富にし得たであろう。
ソヴェト同盟のシュミット博士一行の極地探険の記録映画は誠に感銘深いものであったが、そこには歪められたロマンティシズムは少しもなかったのである。
沙漠という自然の事情と、それを生産的に開発しようとする人間の意志、土地の相貌が新しくなるにつれその労作の過程を通って人間が生活感情、世界観を新にして行く現実の例はソヴェト映画の「トルキシブ」ではっきり語られている。「トルキシブ」ほど有名ではなくても中央アジア外蒙古の生産と文化開発の映画で世界に示されている。「リビヤ白騎隊」とこれらの映画との違いは、土地開発に向う一つの勢力と土着民の生存的利害関係とが根本的に違っているところにある。
もしイタリーの映画監督が諸事情を無視して本当に現実のリビヤの生活、そこで有形無形にもみ合っている白い皮膚と黒い皮膚との利害の対立とを描いたならば、沢山のごまかしとロマンティシズムから脱出した脱出映画が作られたであろう。
しかし、それは不可能であり且つ万一幾分かの芸術的可能はあったとしてもムッソリーニ賞は恐らく貰えなかったかも知れない。ここにイタリー芸術の置かれている何よりも困難な脱出の制約がある。
[#地付き]〔一九三七年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「映画創造」
1937(昭和12)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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