イタリー芸術に在る一つの問題
――所謂「脱出」への疑問――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)先達《せんだっ》て
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年七月〕
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先達《せんだっ》て「リビヤ白騎隊」というイタリー映画の試写を観る機会を得た。原作はフランスのジョセフ・ペイレのゴンクール受賞作品だそうで、ファッショ紀元十五年度のムッソリーニ賞杯獲得映画である。筋は単純なものである。クリスチアーナという女の愛に失望したマリオ・ルドヴィッチ中尉が従来の生活環境と感情とから脱却するために、アフリカのリビヤへ赴きそこの守備隊に加って土民征服に出かける。この経験から生きる目的を一変させた中尉ルドヴィッチは後を慕って来たクリスチアーナにむかって、自分はここから去ることは出来ない、去る気もないと彼女の愛をも拒む。それが終りとなっているのである。
私ども素人の目にはクリスチアーナに扮したランツィという女優も貧寒であるし、ルドヴィッチ中尉に扮した俳優チェンタに特色も認められなかった。概して云えば技術的に後れている平凡な軍事的沙漠映画の印象であった。それがファッショの国では恐らく名誉なものであろうムッソリーニ賞杯を得ているのは何故であろうか。
広く知られている通りイタリーのアフリカ植民地政策の活溌さはエチオピア問題を見ても明かであり、リビアは最近急速に戦時軍需資源の獲得地となっている。鉄、ニッケル、ジュラルミン等の原鉱を多量に生産することが分ったそのためにイタリーは附近の土民との間に砲火を交えることを敢て辞さない。そして、外国の新聞はこの戦闘行為の性質を解剖して、その背後の勢力を考えるとこの白沙漠に於ける戦闘はスペインの内乱の如き性質を持つものであると言っている。
今やイタリーにとってアフリカの植民地問題は従来のような人口問題の解決法としての域を遙かに脱している。ムッソリーニは権力の確保のためにも資源リビヤへの大なる熱中を示している。そして、アフリカへ! 新しいラテン文化の地へ! というスローガンを文化科学の全面に押し出しているのである。
イタリーでは今「脱出の文学」ということが云われているそうである。アフリカという土地に於て、そこの新しい条件に立ってモラルも、行動も、世界観も新しい価値
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