、どこかへ押しつけるか」
絹子は、深いえくぼ[#「えくぼ」に傍点]をよせ、黙って笑ったまま短いチャイコフスキーのバラッドを一つひいた。練習のつんだ正確なひきようだが、ニュアンスがない。いつも絹子のひきぶりはそうであった。
果物などむきながら、彼等はやがて、活動のことを話した。佳一は、
「とても素敵だ、僕、水が出そうんなったところありますよ」
とヴァリエテをほめた。
「通にいわせれば、いろんな苦情があるんだろうけれど、やっぱりよかったな。リア・ド・プティ――女優ね、随分新鮮でよくやっていたし、ヤニングス、僕オセロよりいいと思ったな」
「まあ! そんな? 私オセロは見たのよ」
「そんならなおだ。ヴァリエテ御覧なさるといい」
「さ、どうお一つ、これは本ものらしいから上って頂戴な」
サンキストと皮に文字を打ってあるオレンジをとり分けながら、絹子は、
「じゃ、お友達でも誘ってぜひ見ましょう」
弾んだ調子でいったが、
「でも、私共みたいな境遇詰らないわねえ。ちょっとそんなものでも見ましょうってお誘いしたって、直出かけられるような方一人もいらっしゃらないんですもの」
榎は、ダンスをやめたと同時に、二十七歳の絹子が、稀には良人と活動でも見たい心持を持つことさえ、理解するのを中止してしまったようであった。
絹子は、剥《む》きかけたオレンジをそのままたべもせず皿に置き、うつむいてフィンガー・ボウルに指先を濡し、いった。
「もう二年ぐらいになるわ、そんなところへ行かなくなってから……いよいよお婆さんになるばかりね、ですもの」
佳一は、楓の大きい姉ぐらいにしか見えぬ絹子が、自分からよくお婆さんという、いわれる度に、妙な居心地わるい気持になった。彼は、自然に話の調子で、
「お連が面倒なら、僕お伴してもいいですよ」
といった。
「そう? でもお気の毒ですわ、もう御覧なったんですもの」
「平気! それは。ウィンダアミア夫人の扇だって二度見たんですもの」
「そうお?――じゃ御一緒に願おうかしら……早い方がいいわね」
「場所が悪くなりますね、あとだと……」
「夜私あけられないから、昼間でなくちゃ都合わるいんだけれど――あなた、でも本当に御迷惑じゃいらっしゃらないの?」
絹子にとって、活動見物は一つの冒険であるらしく、俄に活気を帯びた眼の輝きや、さり気なく小声になった相談が、ふと佳一の
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