れが日常の生活によって証拠だてられているのである。
先ず賃銀は一九二八年に比べると六割ばかり一般的に上っている。(ソヴェト同盟以外のブルジョア地主の国家では、反対に賃銀は二九年の恐慌以来殆ど半額に低下している。しかも婦人労働者はその半分の賃銀で一層搾られている)
失業者は一人もいなくなった。(日本には三百万人を越える失業者が飢えている。欠食児童は二十万人だ。他の国とともに資本主義国全体では四千万人以上の失業者が仕事とパンをよこせと闘っている)
農村も五ヵ年計画で集団化されてから、耕作面もひろがり、一人当りの収入も増した。一九二八年から見ると倍額になって、一人当り二百三十四ルーブリ(一ルーブル一円)から二百五十ルーブリである。集団農場にはラジオをただできけるクラブ、托児所、共同食堂等があり、図書室があり、農村婦人の朝夕は人間らしい楽しいものになって来た。
農民、工場に働く男女労働者のためには、昔の宮殿、ブルジョアの別荘がみんな今は「休みの家」或は「療養所」となっている。
この頃では、モスクワの停留場でさえ、母子休憩室がつくられ、特別母と子のための便利を考えて食堂までついているそ
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