電燈の光を黄色くした。鳥打帽の若い労働者が女の腕をとって、その長いトンネル内を歩いている。男も黒いなりだ。女も若いが黒いなりだ。全光景はマズレールに彫らせ度い大都会の強烈版画的美しさである。
 説明しないいろいろな動機から、東端《イーストエンド》を廻って来た、どこの誰だか判らぬ人々が三時間目に再びトラファルガア広場で散らばった時、ロンドン市の上へ月がのぼった。
 ロンドン市は片眼をつぶり、片眼を開けて数百年、夜じゅう起きていた。月は片眼のロンドンでデイリー・メイル社の電気広告の真上を歩いている。
 十一時、ピカデリー広場やチャーリング・クロス附近から一斉に英国国歌の吹奏が起った。
 ――|神よ・我等の光栄ある王を護れ《ゴッド セーフ アワ グローリアス キング》。――タクシーが熱してはしり出した。どこへの宣戦布告だ?――芝居がはねたのだ。舞台衣裳に働かす活溌な想像力はパイプのやにの中にさえ待ち合わさぬロンドンの一流から四流までの劇場で、幕が下り、また幕が上り、舞台から夜会服の男女俳優が同じように夜会服の男女観客に向ってうわ目を使いつつ腰を曲げ、喨々《りょうりょう》たる国歌が吹奏されたの
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