、それからこれが昨年の。真中に坐ってらっしゃるのが今の監督です。
それから、
――あら! ここに日本の女の方もいますよ!
確にそれは日本婦人だった。日本女子大学卒業生型の日本女性代表だ。――が、大体これらの写真はおかしい。一枚の成人教育課程終了者群の写真も無い。淑女紳士《レディス・アンド・ジェントルメン》の写真だけである。足の下には敷かぬ絨毯《カーペット》を前景に拡げ、背後の蔦とともに綺麗に並んだトインビー・ホール居住人――数ヵ月の社会事業見習期間を終った「社会事業家」が監督を中央に記念撮影している。
樫《オーク》の腰羽目をもった天井の高い室がある。トインビーの等身大肖像画が壁にかかり大きなロンドン市紋章が樫《オーク》の渋い腰羽目に向ってきわめて英国風にエナメルの紅と金を輝やかせつつ欄間にかかっている。タイムス。デイリー・メイル。デイリー・ミラア。新聞の散った小テーブルがゴシック窓の前にあって――ああ。ここから土曜日の午後、一紳士が茶を飲んでいるのが見えたのである。絨毯が敷いてあるから足音がしなかった。今誰もいないがやがてここで茶を飲むであろう人間のために純白の布をかけたテーブルの上に八人分の仕度がしてあった。匙やナイフは銀色に光った。菓子や砂糖や牛乳や。豊富で清潔だ。
――ここで働いている方たちの食堂です。(オックスフォードやケムブリッジ大学には、月千五百円つかう学生だってある。)
娘は隅のテーブルへ連れて行ってアルバムをひろげ日本女の署名を求めた。
往来に面した掲示板に今日は成人教育プログラムともう一つの紙が貼られている。伯爵《アール》某々が下賜された土地(ロンドン市中央よりほぼ一時間)小住宅とともに十五年年賦で分譲する。希望者は事務所へ照会せよ。
ホワイト・チャペル通の交叉点を過ると、街の相貌がだんだん違って来た。家並が低くなった。木造二階家がよろめきながら立っている。往来はひろがり、タクシーなんか一台も通らない。犬もいない。木もない。そして人も少い。太陽だけが頭のテッペンから眉毛の抜けたような街を照りつけている。先の見とおしばかりきく一種の臭いのする白昼の街を乗合自動車《オムニバス》が時々空虚から脱走するように走った。
こんな街に向って「民衆宮《ピープルス・パレス》」の白いペンキ塗鉄の大門扉は堂々ととざされている。土曜日の夜七時からある一シリング六ペンスのダンスとテニスに関する告示が鉄柵の上のビラに出してある。ここはロンドン市が誇りとする、そしてあらゆる案内書に名の出ている「|民衆の宮《ピープルス・パレス》」なのだ。何か民衆のための実際的な設備がなくてはならぬ筈である。
そばのくぐり門を入ると左側に二つ並んでテニス・コートがあった。硬球だ。黄色い運動服を着た女学生と白ズボン、白シャツの青年が愉快そうにテニスをやっている。門外の告示に書いてあった。テニス・コート使用料一時間二シリング。電話|東《イースト》一七一五番、または事務所に照会せよ。
その辺には誰もいない。温室のようなガラス張の天井があちらに見えた。喫茶室《ティールーム》とあるので日本女はその中へ入って行った。沢山の空の籐椅子の上に日光がある。高いガラス天井の下やしゅろの鉢植のまわりを雀が二羽飛び廻っていた。茶番の年とった女がいるだけだ。日本女は英領オーストラリア産小鳥の剥製を眺めながら宏大な空気中で三ペンスのパン菓子を食った。そうしたら雀がその粉をついばもうとしてテーブルのまわりをとび始めた。
携帯品あずけ所と洗面所は清潔だ。民衆《ピープルス》にとって残念なことにはその心持いい水洗便所《ウォータークロゼット》を利用するために通って来る暇が彼らにないということである。
いくら笑っていても日本女は英国人の愛するお伽噺の女主人公美しきシンデレラではなかった。既に過去何十年間かこの宮殿《パレス》にない図書室、科学、芸術、工業の知識普及のためのクルジョーク(組)。モスクワではあらゆるけち[#「けち」に傍点]な労働者クラブにさえ満ち溢れるそれらのものを、唯一つの手ばたきでここに視角化する魔力は持たぬ。民衆宮《ピープルス・パレス》とは日本よりの社会局役人をして垂涎せしむる石造建築と最初建造資金を寄附したミス・某々の良心的満足に向って捧げられている名前である。
門の方へ出て来ると、黒い水着を丸めて手に持った少年が番人に六ペンスはらって入って来た。水浴だ。黄色い運動服の女学生の姿は、一時間二シリング分だけネット裏で美しい。
人通りのない鉄柵に沿った暑いがらんとした通りをアイス・クリーム屋が通る。手押車にブリキ罐だ。
――JOES《ジョース》 ICE《アイス》! JOES《ジョース》! 三片《スラッペンス》!
古本屋みたいな窓の中はぎっしりの本
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