スカテイであります。フラスカテイー!」叫んでいる時にロンドンが夜になった。
遊覧自動車はそれから東へ東へととって肉市場スミス市場のアーク燈に照らされた白い鉄骨アーケードの下を徐行した。古代ロンドンの城門の一つをくぐった。
一本の街路樹もない、暗い狭い街が現れた。ガス燈が陰気にひのけない低い窓々を照し出しているきたない歩道を、そこの壁と同じような色のなりをした人間がぞろぞろ歩いている。闇をつんざいて時々ぱっと明るい通があった。戸のない階段口が煙出し穴みたいに壁へ開いている。
┌────────────┐
│寝床。六|片《ペンス》。 │
└────────────┘
木賃宿である。
案内人は立ち上らず坐席から首だけのばして大きくない声で説明した。――ここいらが皆有名な東端《イーストエンド》の一階家《ワンストーリィドゥエリング》です。
再び暗い街。暗い街。暗い建物のさけ目から一層黒い夜が鋭い刃のように見える横丁の前をトーマス・クックの東端《イーストエンド》遊覧自動車は体をほっそり引押すようにしてすべり過ぎた。
市営労働者住宅は七階だ。が空間利用法によって七階までの鉄ばしごは道路に面した空中へまる出しだ。レインコートを着た男が一人三階目の露台を通って四階目へ登りつつある。彼の姿はどこかの扉へ入ってしまわぬ限りてっぺんへ登り切るまで下の往来から小さく鉄ばしごの上に見えた。
「民衆宮《ピープルス・パレス》」で彼らは蓋したベッシュタインのグランド・ピアノを見るだろう。英国史上あらゆる女皇の不器量な大理石像を見るだろう。止った遊覧自動車のまわりは顔面と声だけ夜から見分けのつく大小の子供達で鈴なりである。
――ペニーおくれよ、小父さん!
――お金! お金おくれ!
外套の前をきっちり合わせ肩をいからすようにして子供たちをかき分けながら男達は急いで腕を支えつれの女を先に自動車へつれ込んだ。運転手が巻煙草を子供連に分けてやっている。
ポプラア通りだ。電気仕掛の大十字架だ。ペニーフィールドの支那町《チャイナタウン》は夜九時のロンドン・ドックを通り抜けると同じ速力で。
テームズ河底のトンネルは白タイル張で煌々たる電燈に照し出された。大型遊覧自動車のエンジンの音響はトンネルじゅうの空気をゆすぶった。塵埃を捲き上げて穹窿形の天井から下ってる大
前へ
次へ
全34ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング