こでは妙に身丈の縮小したように見えるロンドン人が山高帽の波を打たせて右往左往やっている。一つの騎馬像が人間波浪から突立って見えた。英蘭銀行《バンク・オヴ・イングランド》の八本の大円柱がこの三角州の上で堂々と塵をかぶりつつ、翼を拡げている。
 貧乏人町|東端《イーストエンド》の方からやって来るところには一本の円柱もない。見上げる石壁が平ったく横に続いてるだけだ。が、|山の手《ウエスト》から来ると人はあらゆる地上地下の交通機関とともに必ずこの英蘭銀行《バンク・オヴ・イングランド》三角州につき当った。八本の大円柱の上の破風にはANNO―ELIZABETHAE―R―※[#ローマ数字「VIII」、1−13−28]―CONDITUM―ANNO―VICTORIAE―R―※[#ローマ数字「VII」、1−13−27]―RESTAURATU。即ち英国の旺盛な植民地拡張時代をしめす符牒のようなラテン語がきざんである。広い石段を上下する人間は気ぜわしい往復の爪先で広場の鳩を追い散した。広場はガラス張だ。――下が地下電車の停車場なのだ。一九一四―一九一九年大戦に於て彼らの皇帝並|帝国《エムパイヤ》に奉仕せる将校、下士およびロンドン市民の不朽なる名誉の為に、記念碑が立てられている。今日は休戦記念日《アーミスティスデー》じゃない。事務的なロンドン人は邪魔っけそうにその銀行前に突立つ記念碑をよけて急ぎ歩いた。枯れた花輪が根のところにあった。いくつもの空の花立はひっくり返って、白い鳩の糞だらけだ。そして三角州の突端、騎馬のウェリントン公爵像は背後に英蘭銀行《バンク・オヴ・イングランド》を、右手に株式取引所の厖大な建物を護り、巡査部長のように雑踏を上から睥睨《へいげい》している。
 |山の手《ウエスト》のここは終点である。英国のあらゆる国家的、個人的美徳、老獪、権謀がこの煤けた八本の大柱列内部で週給六十四シリング以下三四十シリングの男女行員達のペンにより簡単明瞭なる「借」「貸」に帰納されつつある。背後に「東端《イーストエンド》」がひろがり始めていようとも英蘭銀行《バンク・オヴ・イングランド》の正面《ファサード》は広大だ。両手を拡げるように都会植民地の前に大柱列を並べ、人はそこまで出てしまうと西《ウエスト》から来て再び西《ウエスト》へ寄せ返す人波と、二つの巨大な磁石巖――株式取引所と銀行とのまわりで揉み
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