革命的字句、外国語をさけよ。常に事実を書け」労働者は、身元証明帖、クラブ会員証の間から、さらに一つの体温で暖い手帖をとり出し、さて尖《さき》の太い鉛筆を何度も何度も紙の上で振りながら、安全装置をほどこされぬ上靴製工場のガス中毒について書くだろう。一〇〇〇語を、いかに有効に使うべきか。三番目の書きなおしを、半地下室の彼の住居にたった一つあるテーブルの上でやっている時、ある合宿所では、コムソモーレツのミラノフが、同僚と議論をたたかわしている。彼は酒を飲まない。煙草も吸わない。ただ南方チフリス生れの青年ミラノフは花なしではやっていけない。鉢植の花を買って彼は窓に置く。室が一鉢の花で居心地よくなったのに、仲間は彼を嘲弄し、そして花をすてた。
 ――お前はブルジョアだよ。お嬢さま[#「お嬢さま」に傍点]だよ。商人根性《メシチャンストヴォ》!
 しかし、商人根性とは何か。清純を好むのは商人根性か? エム・オルガノヴィッチはこのСССР風な偏見打破のために労働新聞へ投書する必要を認めた。
 蹴球《フットボール》が好きで、ラジオ組立ての上手なコーリヤは、市立銀行の三階にある家で、新聞を読んでいた。テーブルの中央に彼が直したスタンドがともっている。母が向い側でドイツ語の論文翻訳をしている。母はよく働いた。コーリヤは母を尊敬している。コーリヤの見ているイズヴェスチヤの第一面には大見出しで、「パジシャフ・アマヌル・ハンのモスクワ到着」という記事が写真つきで出ていた。「停車場に於けるアマヌル・ハンとタワーリシチ、カリーニン、ヴォロシロフ、カラハン」「自動車上のカリーニンとアフガニスタンのパジシャフ。」軍服の、黒い短い髭をはやした円顔の王の隣席で、中折帽をかぶった白い髯のカリーニンが下を向いて何か見ている。「停車場を出んとする王、カリーニン、ヴォロシロフ、並アフガニスタン大使」最後に、「停車場前の閲兵」。――コーリヤは、パジシャフの敬礼の仕振りや、光った長靴やらを少年らしくじろじろ眺めていたが、いきなり、
 ――ママ!
 母を呼びかけた。
 ――なに。
 ――ママ、何故こんなにパジシャフを歓迎するのさ。自分の皇帝《ツァー》は悪いって殺しといて、何故よその皇帝《ツァー》は歓迎するのさ。
 ――…………………。
 母は答えない。
 ――ママ!
 髪のほつれた頭を仕事にうつむけたまま母は短く答えた
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